晴明伝説・民間信仰・音楽・漫画アニメ

陰陽師★瀬織津

自分の好きを表現し、具現化するところ

今年は鬼とともに暮らす

日記

今宵節分にて、大豆の豆を買うて帰ろうとしたところ、店は売り切れ。

ありゃありゃ、昨晩まではうず高く積まれていたではないかと思ったが、
今日、100円で叩き売ったらしい。

昨日までは140円。

そうよね、去年までは100円くらいで売ってたものが、今年140円なら皆買い控えちゃうよね。

ということで、今年は豆は撒きません。

陰陽師たるもの、鬼と暮らせよ、との啓示やも知れませぬ。

今年は鳩槃荼(くはんだ)と仲良くやっていきますよ。

では、節分解説

節分 せつぶん 節句
二月三日
  節分は二十四節気の季節が移り変わる立春・立夏・立秋・立冬の前日を元々指していたが、いつからか立春の前だけを記載するようになった。これは立春正月、即ち一陽来復して春になるという考えから来ている。この日が一年最後と考えられ、邪気祓いなどが行われた。古くは「せちぶん」といった。この日は各地の社寺で節分祭が行われる。民間では節分豆といって、煎った大豆をまいて鬼を追い出し、厄祓いする。豆まき後、自分の年の数だけ拾った豆を食べるのは節分正月としての年取りの行事であった名残と考えられる。  ・由来・
豆まきは中国の明時代の風習が室町時代に伝わったもので、昔は追儺(ついな)、鬼遺(おにやらい)といって、宮中行事のひとつだった。元々は慶雲三年(七〇六)十二月、疫病流行の追儺行事として土牛を作ったのが始まりで、これが恒例化して十二頭の土牛を大寒の前夜に宮中諸門に立てて祓を修し、立春前夜にこれを徹した。これが追儺、鬼遺に変わる。平安・鎌倉時代の節分行事としては方違えが主であった。
 ・宮中・
宮中の追儺は午後八時に天皇が紫宸殿に臨み、王卿は長楽門東廊の西に集合し、陰陽寮の官人から桃弓と葦矢の配布を受ける。大舎人(おおとねり)のうち長身の者を方相氏の役にする。方相氏は呪師であり、熊の皮を被り、四つの黄金の目のある面をつけ黒衣に朱の裳を着して戈と盾とを手に持ち、多数の配下を率いて部屋ごとに疫鬼を追い出し、内裏の四門をめぐって追い回す。『延喜式』では、方相氏は二十人だったが、後に八人に減る。陰陽師が斎朗(さいのお)を率いて月華門から参入、追儺祭文を読み終わると、方相氏は大声(儺声という)を発し、戈で盾を三度打つ。群臣はこれに呼応して桃弓・葦矢または桃杖で鬼を追う。さらに陰陽師と禰宜(ねぎ)らが人形(ひとがた)を作り、それに厄を移して厄祓いをする。先頭に立つ方相氏を追人(おおんど)と呼ぶが、後にその異様な扮装のため、無形の鬼の存在を忘れて、方相氏自身が鬼で、群臣がこれを追い出すものだと考えられるようになった。後には鬼に扮した者を右近の橘の辺りに立たせ、南に向かって逃げるのを上卿が矢を射る形で行われた。
 ・呪術・
昔は節分年越しの考えがあったので、陰陽道ではこの日星祭を行い、災厄を祓った。星祭は五行説から出たもので、日・月・木・火・土・金・水・羅喉(らごう・月の軌道と黄道の交点)・計都(けいと・月の軌道の中点)の九星のうちの当年星(その年の星巡り)と本命星(ほんみょうせい・各人の持って生まれた星で北斗七星のいずれかに当たる)を祀り、除災招福を願った。民間では家の入り口に柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺した物を置いておくと疫鬼が柊の葉の棘に刺さって痛がり、鰯の悪臭に逃げていくと考えた。またにんにくやねぎ、毛髪などを吊り下げておく地方もある。

  • 陰陽師みなもん

    陰陽師みなもん

    2010/02/11 17:55:32

    見鬼の才です いつも思うのですがどうやってそんな情報得ているのですか?

  • 斎

    2010/02/04 19:17:17

    こんばんは♪
    昨日は壬生寺に節分参りに行ってきたのに豆まき忘れてた人がお邪魔します(^^;
    恵方巻き食べたから良いかな…立春に豆も食べたし…鬼も内、福も内、な地方もある事だし、と自己暗示中(笑)

  • 優華

    優華

    2010/02/04 17:39:01

    鬼、見えちゃったりしますか?けんきのさい って言うやつだったかなぁ。。。?


    豆まき。。。。。。^^;

  • つなきち☆

    つなきち☆

    2010/02/04 16:44:12

    なんかすごい^^;

  • 妖輝緋

    妖輝緋

    2010/02/04 02:22:50

    妖輝緋は昨日、恵方巻を見つけるために4箇所さまよいました(^-^;