およよ・れおポン

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ややもすると夢見がち…実はおぢさん…
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完結した時に人生が決まる

人生

リュージュの事故で思う。
人が死ぬというのはどういう事だろう。

今回の、オリンピックでの死亡事故は、悲しい出来事だ。

でも、僕は昔から疑問を持っていた。
斎場などで「大悲殿」という名前を見かける。
(本来は、斎場が神式で、大悲殿が仏式と言うべきだろうか?)

僕には、この「大悲殿」の言葉の意味がよく解らない。

日常的に使う「かなしい」と同じ意味だろうか。
それとも、仏教的に他の意味を持っているのだろうか。

いずれにせよ、僕の思う「死」に、「悲」の文字は使いたくない。

確かに、亡くなった人の家族は悲しいかもしれない。
でも、人は必ず死ぬ。
人生という道のりを想えば、死を迎える事で、人生の形が完成するのだ。

「良く生きた」と言える人生ならば、祝福するべきだと、僕は思う。

それでは、「不慮の事故」などで亡くなったら、それは悲しいかというと、確かに、本人も不本意の死かもしれないし、家族も悲しいだろう。

でも、やっぱり僕は、葬儀にあたっては「祝福」で終わらせてあげたい。

生きていたあいだの、生き方に対する評価、その人の、生きていた事の価値を、讃えたい。

葬儀というのは、そういうものであってほしい。僕はそう思っている。

祝福に足る生き方を目指すべきだと思う。


#日記広場:人生

  • れおポン

    れおポン

    2010/02/17 20:49:16

    なにかこう、最近の日本人に反感があるせいか、この記事に少しそれが入ってるみたいです。
    昭和天皇が体調を崩されてから亡くなられるまでの間、無意味に「自粛」が広まってしまった。
    何でも「自粛」という名目でやめてしまう。
    日常的な病気なら、まだ回復するだろうと思うから、さほどの自粛をするはずはないはずで、「もう死ぬんだな」と内心考えているから、必要以上に自粛してしまう。
    言い換えれば「もう死ぬから」という態度なのであって、その方がよほど礼を失う。
    そういう日本人がきらいなので、それが言葉に出るようです。

  • たかりん

    たかりん

    2010/02/17 20:12:03

    以前バリ島へ行った際、ガイドブックに
    「バリの人たちは死をいうものを悲しいことととらえない。お葬式は祭りの様である。」
    といった様なことが書いてあったんです。

    そのことについて現地のガイドさんに聞いてみると、
    「そりゃ悲しい。その気持ちは多分一緒だ」と言われました。

    祝福もして、そしていっぱい思い出して、いっぱい泣いてOKっていうのはどうでしょう?

  • れおポン

    れおポン

    2010/02/14 19:46:25

    ネアンデルタールも花を添えて埋葬したと考えられている。
    ハナを選んだ精神というのが、葬儀には大切な気がする。

    日常生活は、地方にもよるけど、茶碗などを割って捨てるという習慣もあるし、どうやって心を整理するか、多くの人が苦心してきたのでしょうね。

  • reoma

    reoma

    2010/02/14 14:45:01

    葬儀ってあるいみ遺族のためのものな気もします
    想いを断ち切るっていうか・・・・
    それでもやっぱりあえなくなるのは淋しいなぁ・・・