昨日の新聞から
このジャンルでいいんだろうか。
新聞の夕刊には読者からの投書欄がある。昨日のそれに痛ましいというか世情を映す内容のものがあった。
その女性は30代の女性。JRに乗っていて具合が悪くなった。4ヶ月目の赤ちゃんがお腹にいるときの通勤時である。詳細はわからないが乗り込んだときなの か、自由席に空席は無く、緊急避難のつもりで指定席に腰かけた。車掌さんが来て事情を話したが、別途料金が必要でさもなくば席を離れてくださいとのこと。 しかたなく彼女は乗降口にビニールを敷き、座り込んだ。投書の最後には「優先席があればと思う」と結んでいる。
優先席についてはここでは述べない。
世の中豊かになり、技術や文化は素晴らしい発展を遂げている。そして同時にいつのまにか人間は色んなものを捨て去った。思いやりとか優しさというよりもっと的確な言葉がある。余裕である。心の余裕だ。
車掌さんが自らの職務を遂行することを徒に非難はできないが、彼にもう少し心の余裕があればこの女性は投書するほどの憤りを覚えずにすんだはず。
ここからは推測。指定席券を持たない人がそこに座っている。他の乗客が文句をいうのだろうか?(だいいちわかるのか?)
誰に対しても等しい対応を心掛けるべきというのをひたすら守ろうとしているのか? 過去に嘘を言って座ろうとした別の乗客の対応で痛い目にあっていたのか?
車内は君の職場、そして君の裁量を完全に奪うほどの上からのお達しは絶対?
いや、この車掌さんは私であり貴方なのかもしれない。少なくとも私には完全に否定できるだけの自信はない。だからこそ、ときおり自らの心の中を覗いてみなければいけない。
我楽多煎兵衛
2010/02/21 19:29:57
こきりこさん、コメントありがとうございます。
そうですね。つまるところ、
「人間として正しい」ことをすることが、
決まりごとや通念ではカバーしきれないときの
規範になるんですよね。
ええ、助けたり助けられたり。
(「隣組」の歌詞みたい)
こきりこ
2010/02/21 12:50:11
うむー。
私も痛い目にあったことがあります。君の言ってることは悪くないどころか
正しいけれど、今回の場合、「融通をきかすことこそ人間として『正しい』
んじゃないかい」と思うわけです。
そうかと思えば、先日身障者の子どもと一緒に乗っているお母さんを、介助
している、心温まるJR社員がいました。
自分は、きっとその時の気分によって、態度を変えてしまいそうです。
いかんいかん。