「失礼します」
「入って」

ドアを開けると、総務部長は仏頂面で入り口正面の椅子に座っていた。
指でテーブルの縁を叩いているのは、機嫌が悪い証拠だ。
朝から９人の女子事務員に説教をして、疲れてしまったのだろう。
最後の１０人目に当たったのは、不幸としかいいようがない。

（うわあ、今日の昼休みは諦めたほうがよさそうやな…）

機嫌が悪いと彼の話は長くなる。昼休みの休憩は諦めるしかなさそうだった。

「三坂さん、とりあえずそこに座って」
「はい」

示された席に腰をかけ、佐奈は部長の言葉を待った。
間の悪い沈黙が、会議室を支配した。
トントンとテーブルを叩く音だけが佐奈の耳についた。
何枚かの書類を手にして、しばらく黙っていた部長は彼女を見据えて話しだした。

「君ね、なんだか最近やる気が見えないんだけど、どうなの？」
「はあ、やる気ですか？」
「そう、退院して職場復帰してからもう２カ月でしょ」
「・・・そうですね」
「いい加減、体の調子も戻ったでしょ？もっとやる気をみせてもいいんじゃない？」

（何を言いだすのや、この人は・・・）

佐奈は部長のセリフに、脱力する思いだ。
子宮筋腫のオぺを受けるため、佐奈が入院したのは３ヶ月前だ。
佐奈の不在で混乱する職場を何とかするため、１ヶ月の休暇を３週間に縮めて職場復帰したというのに、
やる気がなといわれたら、なんて答えたらいいのだろうか。
まだオベ後の傷も痛むというのに、どうしろというんだろう。
まともに歩けるようになったのが今月の初めなのだ。
やる気を見せろといわれても、それは無理な話だった。

「・・・まだ退院してから、２カ月なんですけど」
「え？なに？」
「まだ２カ月だって言ってるんです！まともに動けるようになったのは今月ですよ！」
「でも、君はもう女性じゃなくなったんだから、仕事にせいだすしかないでしょ？」
「・・・」
「だからやる気を持って、仕事に取り組んでもらいたいんだよ。
　そうでないと他の社員にも示しがつかないよ。君は一番の古株なのだからね。
　他の社員にやる気が見えないのは、先輩の君にやる気が見えないからじゃないの？
　このままじゃあ、辞めてもらうしかないね」

ああ、ダメだ。この人はなにもわかってない。
佐奈の一部は冷静にそう考えていた。
残りの佐奈は、烈火のごとく怒り狂っていた。
子宮全摘出したのは後悔していない。
子供ができない体になったのも、気にはしていない。
ある意味、楽になったとすら思っていた。
好きで病気になった訳ではないが、佐奈はそう考えている。
そう考えるように、努力してきたのだ。

だけど、もう女性じゃないと、この場で部長に指摘されるいわれもないはずだ。
どうして、ここで、こんな風に言われなければならないのか。
どうして、仕事しか目的がないと言われなければならないのか。
佐奈には理解できなかった。

（なんで、こいつに、ここまで言われなあかんの！）

そう思ったとたん、佐奈の心は爆発した。

「うるさいわ！」

抑えきれない叫びが、彼女の口から飛び出した。
佐奈の一部が止めろというが、一度堰を切った言葉は止まらなかった。

「何で、あんたにそこまで言われなあかんの！」

いきなりあんた呼ばわりされ怒鳴られた部長は、あっけにとられた表情で佐奈を見つめた。

「辞めなあかんのやったら、こっちから辞めたるわ！

椅子を蹴るように立ち上がり会議室をでて、佐奈はロッカールームへ向かった。
何か部長が呼びかけたようだが、完全に無視をした。
もう一秒だってここには居たくない。部長の顔を見たくない。
仕事も何もかもどうでもよかった。

「三坂さん、どうしたの？」

凄まじい表情でロッカールームに向かう佐奈に、女子事務員の１人が声をかけたが、
それも完全に無視して自分のロッカーから荷物を持ち出し、そのまま会社を飛び出した。