ひまわり畑を眺める一匹猫

招き猫

猫はただ、風に吹かれながらひまわりの花を観ていました。
まるで懐かしいぬくもりを思い出しているかのように。

父の背中

家庭

1967年、私は生まれた。
私が生まれて一番喜んだのは、祖母のようだった。
何でも、私の母から私を奪ってしまう勢いだったとか・・・。
私自身の記憶が無いのではっきりした事は言えませんが、祖母の異常なほどの私の可愛がり方が原因だったのかも知れない。
私の両親はその後、私を育てる事を放棄して離婚した。
私はそのまま祖母に育てられ、父は失踪した。

それ以来、私の両親は死んだ事になった。
両親のいない子供である私は、祖母と2人っきりで生きてきた。
両親がいないというネタで、近所の子供からからかわれる事もあったが、私はからかう相手に哀れみすら感じていた。
「こいつはお父さんもお母さんもいるのに、なんて弱いんだろう・・・。」
少しスレた少年招き猫は、それでも明るく成長したように思う。

その頃父は、土方などの仕事を転々としていたようである。
自分の稼いだお金は、貯金するでもなく全てギャンブルと酒のようだった。
これが私の父が自分の息子を育てるという、義務を放り出して行っていた事の全てである。
父が再び私の前に現れたのは、私が小学4年生位の事だった。

学校から帰ると、その男は祖母と一緒に私の家にいた。
その男は私の叔父と名乗った。
一緒に食事をしてその日その男は帰っが、それからたまに私の前に時折現れる様になった。
休日などに現れては、私を遊びに連れて行ってくれたり、キャッチボールをしたりした。
その男はとても楽しそうだったし、私も楽しかった・・・。
それからしばらくして、男は祖母と大喧嘩をして、また私の前から姿を消した。
そしてその後、私は祖母からあの男が私の父だと聞かされた。

父が再び私の前に姿を現したのは、私が二十歳の頃だった。
話を聞くと、父は心を改め、私の為に貯金をするという。
”何時から?”と聞くと”明日から”と父はこたえた。
私は父が心を改めたとは、到底思えなかった。

それでも、たまに姿を現すようになった父は、他に迷惑をかけるではなく、自分の力だけで生きていた。
父が私に迷惑をかけたのは、私が結婚をする少し前だった。
パチンコ屋で突然具合が悪くなった父は、私の家に訪れしばらく泊めてくれと言った。
父は高熱の中意識が混濁し、私は救急車を呼ぶ事になった。
病名は髄膜炎だった。
そのままICUに入院し、医師は万が一の事もあると私に言った。

どうしようもない父だったが、悪運だけは強かったのだろう。
父は生還した。
著しい難聴という代償を払って・・・。
幸か不幸か、父は障害者の認定を受けた。
私は役所で手続きを取り、父の面倒を見る義務を解除してもらった。
私はそんな冷たい人間なのです。

父は今も私のマンションから程近い、ワンルームの賃貸住宅で一人暮らしをしてる。
市役所から出る生活保護を、自分の為に使いながら。
やはり貯金は全然していないようである。
そんな父を、私は月に一度家に呼び、孫の顔を見せてやっている。
しかし、父はかわいい孫の声を聞く事は、一生できないのである。
息子も父にとても良く懐いていて・・・。

そして父は孫である私の息子を抱く度に、とても嬉しそうに言うのである。
「やっぱり孫ってのは、かわいいものだなぁ。」

  • 招き猫

    招き猫

    2009/02/10 20:48:25

    くぅみんさん
    長い長い記事にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
    私もですね、今年ある目標を持ってがんばりますので、その目標がクリアされたらいい事があるって思うんです。
    くぅみんさんも、たまには重荷を下ろしてゆっくりしてね!

  • くぅみん

    くぅみん

    2009/02/10 13:10:39

     
     拝読させて頂きました。
     招き猫さんに  これからもきっといいことがいっぱいです。 ね・・・