☆百匹目の猿
この話は宮崎県の石波湾にある小さな島・幸島に住む野生の日本猿が主役である。地元の人々は昔からここの猿を神の使いと信じていたという。サツマイモや麦を与えていたところ、1953年に一匹の若い猿が海で洗って食べることを考え付いた(これは、砂が落ちて適度に塩味がついておいしくなるためという)。やがてコロニー内の猿たちも、次第にその行動を真似するようになった。もう少し正確に言うと、まずその猿の兄弟姉妹や親、親戚の順に広がり、やがて他のコロニーでも同じ行動をするものが現れた。そして、ちょうど幸島で百匹目の猿が芋を洗い始めたとき、他の島々のコロニーはおろか全国各地に同じ行動をする猿が自然発生した。
概略はこのようなものです。
コロニー内にいる猿たちは肉眼でその情報を入手できるので、なんら不思議はないわけです。しかし、遥か遠方にいる猿のコロニーにどのようにして情報が伝わったかはうまく説明がつきません。
そこで、登場するのがユングの唱える集合的無意識と言われるものです。
この場合は猿の世界の集合的無意識と言うことになりますが、簡単に言うと各々の猿は顕在意識を持ち、その深い部分に潜在意識(無意識)を持っており、その無意識のさらに深い部分に猿の社会に共通、すなわち各々の猿につながった無意識(集合的無意識)があるとするものです。
この報告では幸島の猿の集合的無意識が強くなり(表現は不適切?)、さらに深い集合的無意識を通して遥か遠方の猿の無意識から意識へと情報が送られたと考えるわけです。
人間の世界でも集合的無意識を証明する実験はいくつも行われているそうで、なかなか興味深い結果が出ているそうです。