フリージア

瞳の中の少女…19

自作小説

 「今日こそは、話せると思うから」
 「はい」
 女医は、笑顔で今日の概要を話してくれた。
 患者と話してくれればいい、僕の仕事はそれだけだった。ただ、世間話をすればいいと。
 そして、女医と2人で応接室とは反対側にある棟、入院患者がいる病棟へと向かう。
 淡々と歩く女医に緊張しながらも付いて行く、入院患者がいる病棟に入ったとたん少し肌寒いくなった。
 通り過ぎようとしている病室の札を見ると「305」と記されていた。目的の病室は「302」だ。
 もう少しで再会する、そう再会だ。懐かしい顔を見るのと言うに、ちっとも気分は高揚しない。逆に肌寒さが増した。
 歩幅の狭まった僕より先に、医師は例の病室の前に着き、僕も数秒遅れて302号室の前で止まった。それを確認した医師は、僕の目をかるく見て扉にノックし応答を確かめる。
 「調子はどう?面会よ」
 僕は、鉄格子の張ってある小窓から中を見た。衝撃的な光景。そこには見えない壁があった、誰にも見えない壁なのに僕には見える。中にいる人物が四方八方に張っている全てを遮断する壁。
 僕にこの壁を壊せというのか?
 壊す自信はない。でも、もしかしたら僕にしかこの壁を壊せないのかもしれない。この女医はそれを解っている。
 僕は意を決して声をかけた。
 「やあ」
 明るい挨拶も見えない壁のせいで、奥にまでその明るさは届かなかったらしい、きつい口調が帰ってきた。
 「だれよあんた!気安く声かけないで!」
 咆哮するなり、建物全体を揺らすほどにベッドが隣接している外側の壁を殴る。ドンと大きな音がした。
 予想通り、分厚い壁だ。
 病室は薄暗い。小さな窓のせいで光は全ての空間を照らせきれていない。天井には申し訳ない程度の電灯が点いているが、暗黒に落ちている人間を照らすにはやはり不十分だ。
 医者は深く溜息をつく。
 牢屋のような病室の中にいる子は、こちらを振り向こうともしない。この人格は、誰ともコンタクトをとりたがらない。僕も溜息が出た。
 多重人格障害。
 何らかの作用で、本人とは別の人格が誕生する。前回と前々回の病院訪問は、この病気の説明を聞いたのだ。理解するのは困難だった。
 「彼女とも話してほしいのだけれど、今はちょっと無理みたいね」
 「どうすれば?」
 「面会は、もうちょっと待ってもらっていいかしら?こっちから呼んでおいて、申し訳ないんだけど」
 もう一度、病室の中を見る。
 「また後でね、仙道君」
 返事はなかった。彼女の名前は仙道薫。仙道君の中にいる女性の別人格だ。