銀色羽毛のblog

恵の字

日々の徒然。
手芸記録。
通販(散財(苦))記録。

……の筈が、近頃はぜーんぶやってなくて、専ら文章修行の場と化しつつあります

自分の好きな色と、その人をイメージする色との齟齬

ファッション

自分、好きな色は。幼い頃は頑なに「女の子はピンク」と思っていましたけど、それが滑稽に思える年頃からは、を好きになっていました。

文房具の色展開に選択の余地があれば、




木目
他の色
という順位で決定がなされます。


けど、服はそうはいきません。実に高校を卒業して親元を離れるまで、決定権は母にありましたから。
(高校生のとき、コンサートライブに着ていく水色の服を自分のお小遣いで買ってきたら、いつの間にか隠されて、どこに行ったか判らなくなったことがあります。)

どうにかこうにか大学を出、フリーターとはいえ仕送り無しで糊口をしのぐようになれたとき、服…ではなくて、通信講座にはまっていました。将来への投資♪ て奴ですね。

その中に、カラーコーディネート講座もありました。
大学のサークルの同輩に、非常に繊細な色彩感覚を持っている方がおり、感性の乏しい者が、追いつくのは無理でも、追いすがるには、学問として体系だっている物を利用して理論武装をしておくのも悪くないだろう、と考えたわけです。
さて、そのときのお話です。
初めの方の課題(提出するものではなく、自習)に、

周りの人にあなたをイメージする色を尋ねてみましょう

というものがありましたので、大学のサークル室(OB・OGが大手を振って出入りするところでして……)に赴いて、後輩たちに色票を見せて、選んで貰いました。
9割方が茶色
という、自身にとっては呆然な結果が。の補色…とまでは言わないまでも、隣接補色じゃあ、ありませんか。
そのときいみじくも、後輩の女の子の一人が言いました。
「だって、恵先輩って、冬はいつも茶色のコート着てますもん」
そーれーはー、母の趣味だってば。
ン万円もする服なんて買えない自分、ヨレヨレになっても、大学受験のときに着てゆく為に母が買ってくれたコートを着続けてました。
その後、まだ学生を続ける自分に、次のコートを買ってくれましたが、また茶色。しかもこんどは、もこもこ生地の、Aライン。
わたしは淡い色の、トレンチか、ウエストシェイプで裾はフレアーなコートが、いいのにっ。
でも、出資者様には逆らえません。しかも、連れて行かれたのは、母の職場の同僚のところ(O街道の百貨店、といえば、地元の方は判りますか…ね、わたしの望むような品揃えをしない、落ち着いたお年頃のお客様をターゲットにしているお店なことが)。
異議を唱えることができず、母が満足するコートを手に、わたしたちはお店を出たのでした。

…そんな訳で、いつも身に付ける、多くの面積を占める服の色選びは、慎重にしましょうね。


やがて、療養生活のさなか、ネットで活動を広げるようになったとき。
サイトを立ち上げたときは、を基調にした配色を選びました。(漫画パロの別館は、敢えて、その作品を象徴する薔薇色緑色を。)
チャットで自分のハンドルか発言の色が選べるときは、頑なにを選び続けました。3Byte色のときは0080ffを。
そんなこんなで、「バトン」なるものが流行ったとき、色で次の走者を指定するときには、わたしは必ずを貰えたのでした。めでたし、めでたし。


アメブロのブログネタ・「自分っぽい色ってある?」より転載

  • 恵の字

    恵の字

    2010/11/07 20:49:08

    > kim様
    > 同人誌

    キラーン(輝)
    わたしの居所では、「同人誌」と単に言った場合、俳句同人の場合があるのです(居所を伏せる意味無し)が、わたしたちの世代(コミケ第2世代?)なら、漫画同人だとみなして、構いませんか?(苦笑 ときに文芸同人の場合もありますね)

    わたしはコピー本・オフセ本共にゲスト稿を描くのみで、主催はしたことがないのですが、あれはあの時代の「嗜み」です、よね。
    (わたしの知人の出す同人誌の方向性は皆、哀しくなる程に「健全」でした……。それを自虐ネタにする猛者も。)
    トーンナイフすら扱いきれなかったわたしには立ち入ることのできない世界でした。半年に一度の東京へ行く日が1ヶ月後程に迫っている(笑)サークルの先輩の処へ大挙してアシに行くときは、皆がトーンワークをする中で、わたしは独り、ベタ塗りとネーム貼りとノンブル貼り…………。

    後輩には、装幀に凝った小部数のコピー誌(トレーシングペーパーにワープロの色インクで刷った表紙や、黒紙にレースペーパーを合わせた表紙など。遊び紙を凝るのは当たり前)を作ることを趣味にしていた人もいました。(もうそろそろ、わたしが大学時代に所属した「サークル」が何であるかバレているような気がします(苦笑)。)彼女から、「化粧断ちは勢い」と聞いたことがあります。彼女が作るコピー本は、大抵中綴じでしたから。

    製本に木工用ボンドもお使いになるということは、網代綴じを習得なさっているということでしょうか。
    1晩100冊…さすがその道でおぜぜを得ていらしたことのあるお方。


    携帯は、わたしが大学在学中、女性の先輩(既に社会人です)が当時では画期的新色の「女の子らしい」色を選んで、同じ世代の男性の先輩の失笑を買ってたりしましたが。そんな遣り取りをメーリングリスト(時代じゃ)で眺めて、「あー、男の人って、保守的。(ステレオタイプな発想でごめんなさい)」と思ったものです。
    ランドセルは、わたしの居所では、女の子は結構、パステルカラーのピンクや水色を選んだりしていますが、男の子は伝統的な色ばっかり。保守的です。
    現代は、「斯く在るべし」像を押し付けられているのは男性の方で、男のかたにとって生きにくい世の中なのでしょうかね。女性は女性で、生きる道が幾らでも在り、どれも選びたい人が息切れを起こしているのがわたしたちの世代、と申しますか。

  • kim

    kim

    2010/10/30 22:58:43

    印刷屋といっても、小学生の作文集と名刺とハガキが売り上げの殆どを占める様な小さな所で、
    バイト代の替わりにタダで同人誌を刷ってもらっていた、が実際のところです。

    そこで学んだ印刷、製本の基礎をアレンジして、
    コンビニにある材料(コピー機、カッター、木工用ボンド)だけで印刷、製本ができるので、
    何かと役に立ちます。100冊くらいなら1晩で作ります。

    自動車も、携帯電話も、ランドセルも、カラフルな世の中になりましたね。

  • 恵の字

    恵の字

    2010/10/28 23:22:54

    > kim様

    再びご来訪いただきまして、ありがとうございます。
    kim様は、元印刷屋さんでしたか。
    印刷屋さんにお勤めの方は、色彩感覚に優れている、とか、DTPができちゃう、とか、重い物(紙の束とか、紙の束とか)をせっせと運ぶことができるとか、繁忙期と閑散期を柔軟にお仕事できちゃう、とかのイメージがあります。違っていたら教えて下さいね。
    わたしは、体力は必要ですけど腕力は要らない、女性でも知識が豊富ならきちんとお給料の頂ける職種としてプログラマを選んだのですが、あそこはデスマーチに耐える精神的タフさも必要で、わたしはたった半年でドロップアウトしてしまいました。

    新橋色、…系統色名では「くすんだ緑みの青」ですね。化学染料が開発されたのでできた色の一つで、印刷物(CMYB系では、(RGB系よりも更に)表現できる色の範囲が限られますので)ではない、実際にその染料を使って染めた布地を見てみたい色の1つ、です。(元印刷屋さんに対して(苦笑)。こういうのを「釈迦に説法」というのかしら。)
    わたしの好きな青は、ウルトラマリン(その名が付いた地域では産出されない顔料で、「海を越えた」という意味を持ちます。鉱物のラピスラズリのこと。和名は瑠璃です)、露草色、くらいの、明るめではっきりした、ちょっと紫みかかった青、かしら。
    藍銅鉱(この顔料で出る色のことを、岩群青(単に群青とも)といいます)を使いこなした日本画家の東山魁夷さんは、わたしの好きな画家のお一人です。でも、藍銅鉱は経年とともに風化して孔雀石(色としての和名は、青丹)になってしまうので、氏の絵は、400年後くらいにはもう、緑色の絵になってしまうかも、しれないのです。

    東京商工会議所のカラーコーディネーター検定は、当時、居所のそばに受験地が無かったので見送ったままです。(現在も、1級の受験をするには、やはり遠出をしなくてはいけません。)
    AFTの色彩検定は、2級まで持っています。1級を取らないのは、やはり、1級には筆記と実技の2次試験が課されるのですが、その受験地が、特急・新幹線を乗り継いでも5時間以上かかる場所でしか開催されないから、です。


    宜しければ、またお越し下さいね。

  • kim

    kim

    2010/10/27 02:45:55

    元・印刷屋が飛んできました。

    日本の色に付けた名前とその思いが伝わると良いな、と思っています。
    新橋色って青色がありまして。芸者さんが流行らせた青色なんですけれども。
    カラーコーディネータ、一時期あこがれていましたー。

    また勉強に来ます。ありがとうございました。