TAKEのつぶやき

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TAKEのつぶやき

☆淀殿

その他

淀殿は日本の三悪女としてよく語られることがあります。しかし、歴史に明るい方はご存知と思いますが、これは徳川側にとって都合のいいように捻じ曲げられたことです。
また、その生涯は波乱万丈で、戦国時代に生きた女性としては最も過酷な運命を歩んできた一人といえそうです。

北近江の武将・浅井長政の長女(茶々)であり、母は織田信長の妹・市である。信長に浅井家が滅ぼされたため、市や妹二人と共に小谷城を脱出し、市の実家の織田家に保護される。それから信長の弟・信包の元で暮らすことになるが、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれたのを機に再び波乱な状態になる。つまり、信孝は柴田勝家を見方にするため、市を勝家の元に嫁がせる。母についていった茶々であったが、勝家が羽柴秀吉に賤ヶ岳の戦いで敗北したため北ノ庄城もまたも落城する。この時、市は勝家と共に自害したが、茶々ら三姉妹は脱出し、秀吉に引き取られることになる。

その後、秀吉は茶々を自分の側室とする。また、懐妊したため山城淀城が築かれそこに住むようになったため淀殿と呼ばれるようになる。そして、長男・鶴松を出産するが僅か3歳で病死。その後、秀頼を出産する。

淀殿は秀吉が亡くなると、実質的な大坂城の主となるが、家康によって豊臣家は一大名に格下げさせられてしまうことになる。また、方広寺鐘銘事件が起こり、その後片桐且元を大坂城から追い出したことが、後の大坂の陣が起こるきっかけになる。

大坂夏の陣で最後の手段として家康に助命嘆願を願い出るが、当然受け入れられることはなく、息子・秀頼と自害して果てる。享年は45歳前後だと言われているが、これには諸説があり定かではない。

こんなくらいは調べたんですが、私の意見はやっぱり徳川側にいいように悪口言われているように思えてしかたありません。
(大阪市北区・太融寺にある淀殿の墓があります。)