ちな

七草粥の思い出

日記

昨日は七草の日でしたね。
私は残業中にバランスアップを齧っておりましたが(笑)

小さい頃は祖母がお餅入りのお粥を作ってくれました。
学校で七草の由来や種類を教えられて、それとは違うと知った時のカルチャーショックときたら(笑)
祖母曰く、その時採れたものを入れれば良いのだと。
数が足りなくても、種類が違っても。
なので、一月七日に食べるお粥はその年によってまちまちでした。
白菜やほうれん草、大根の葉等、畑で取れたものを中心に、あれば野草を加える感じで。
もちろん、お餅は必ず入っていました♪

東北の片田舎、周りは田んぼと山しかなくて、とりわけ祖父母の暮らす地域は気球が降りてくるのに適しているくらい何もないところだったんですよ。
週に二度、移動販売車がやってきて、そこでお豆腐や納豆なんかを購入してるような。
商店は3KMくらいの道程を「山を降りた」と表現していた場所に、タバコ屋さん、魚屋さん、お米屋さんがあるくらい。
昔から身の周りにあるものだけで暮らしていたのです。
切干大根や芋がら、干し柿をせっせと作って、冬の間は漬物と保存食が中心の食生活。

知識を身に付けてくると、いろいろ自分がいる環境や習慣が、世間一般と異なるのにいちいちびっくりでしたが、今ではそれも好い思い出です。
茶碗蒸しはお正月だけしか食べられないごちそうだったのが懐かしいです(笑)

  • ちな

    ちな

    2011/01/09 22:11:04

    >non##さん
    ありがとうございます♪
    日本は細長いので地域毎に気候も環境もかなり違いますよね。
    そんな国で全国統一された習慣があるほうが不自然だと、今では思います。
    お雑煮が地域で違うように、お粥を食べる風習が広まった時でも地域毎に、その風土に合ったものに変化していったのだと。
    今では全国何処に行っても、同じ物を食べようと思えば食べられて便利ですが、ちょっと味気無いかもしれません。

  • non##

    non##

    2011/01/09 15:51:50

    これは良いお話ですね。
    七草粥も もともとは庶民の間では 決まったお野菜ではなくて
    その季節に 身近にあるものを入れて作ったのだと思います。
    ちなさんのお祖母さんは素敵ですね~~ 全く、その通りですよ!
    そんなお祖母さんのそばで育ったちなさんは幸せ者だと思います。