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陰陽師★瀬織津

自分の好きを表現し、具現化するところ

『平家物語』に見る陰陽道 3

その他

○陰陽 (巻第三 一 赦文の事)p127
 入道相國(しょうこく)の御女(おんむすめ)建禮院、… 御悩(ごなう)とて、雲の上、天(あめ)が下の歎(なげき)にてぞ候ひける。諸寺に御讀經(みどきやう)始まり、諸社へ官幣使(くわんぺいし)を立てらる。陰陽(おんやう)、術を窮め、醫家(いけ)、藥を盡し、大法・秘法一つとして殘る所なう修(しゆ)せらる。

《訳》
 平清盛の娘、建礼門院がまだ中宮の時に、ご病気というので、宮中・天下をあげてのお嘆きであった。諸寺で読経が始まり、諸社へ幣帛を奉る勅使が遣わされた。陰陽師たちは秘術の限りを尽くし、医者たちはあらゆる薬を用い、大法・秘法も一つも残らず行われた。

《解説》
 入道相國とは清盛のこと。その娘、高倉帝の中宮徳子のご病気に世を上げての大騒動となったが、実は御懐妊であったというオチ。その身に宿したのはもちろん安徳天皇となる命である。陰陽師は占一般だけでなく、祓えや祈祷も行っていたことが伺える。
 平家一門の栄華の象徴ともいうべき安徳天皇の命を建礼門院徳子が宿す前に、前段に蚩尤旗出現という天変が現われたのは、これからの平家没落の暗示の最たるものだったのかもしれない。

  • 斎

    2009/04/03 23:07:45

    こんばんは。
    当時の陰陽師さんは、様々な役目を担っていたのですね。

    でも、そうか…言われてみれば、安徳天皇は栄華の象徴であり没落の悲劇に遭った、様々な意味で大変な存在だったんですね。