てらもっちの あれもっち、これもっち

てらもっち

まあ、日々思うところをブログにつけてみましょうか。疲れない程度にね。

自由意志について

30代以上

「自由意志」というのが哲学なんかで規定されているらしいんですが,

ある本(「まだ科学で解けない13の謎」「進化しすぎた脳」)を読んだところ
脳科学的には「自由意志」というものはないそうです。

ものをとろうとするときに
「ものをとる」と「意思」として思考に上る前に
すでに脳の中では右手を動かそうとする
「準備電位」なるものが発生しているそうで,
これは実験的にも確かめられている。

すなわち「意思」というものは
「潜在意識」のようなものに
コントロールされており,「自我」や「意識」というより
「刺激」に対する「衝動」により「行動」が規定されている。

「意思として自分で自由に決めているわけではない。」

脳科学としては当たり前らしい。
本当かな。もう少し勉強してみよう。

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/19 22:15:37

    若侑さん

    御丁寧にありがとうございます。
    まったく不愉快にも攻撃的にも感じておりませんので,御心配なく。

    心遣いが細やかですね。

    これからもよろしくお願いします。

  • 若侑

    若侑

    2011/04/19 19:35:14

    追加します。

    昨日の私のコメントですが、
    後から自分で読んで、若干攻撃的に感じたので、
    もし、不愉快に感じられていましたら、ごめんなさい。

    単純に寂しいと思っただけで、
    責めたり攻撃的にしたつもりはなかったのですが、
    ちょっと、感情的だったかもしれません。

    気付いてから、昨日の内に
    訂正のコメントを入れようと思ったのですが、
    最近PC(モデムの方かも)の調子が悪くて、
    すぐ回線が切れてしまい…
    遅くなりました。

    てらもっちさん、
    丁寧なお返事、ありがとうございました。

    これからも宜しくお願いします。

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/18 23:15:33

    つねきちさん
     お久しぶりです。:D
     
     人間の行動は意識よりも無意識のほうが多いみたいですよ。
     確かに「歩く」とか「ボタンを止める」とか無意識ですよね。

     そして「恋」も意識というよりは無意識な衝動ですよね。

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/18 23:12:31

    クワトロさん
     刺激に対する衝動の起源は
     茂木 健太郎さんが「クオリア」といっているものに
     つながるようです。

     そして「クオリア」はその人の経験によるから
     人によって色とか見ている景色は異なる。。
     だから経験をつんでいく旅は面白い。。。。。

     となるようです。

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/18 23:10:07

    若侑さん
     追加です。
     「進化しすぎた脳」 池谷 裕二 講談社ブルーバックス
     のほうがおすすめです。

     自由意志も含めて脳のことが分かりやすく書かれています。
     

  • つねきち

    つねきち

    2011/04/18 22:20:57

    お久しぶりです^^

    確かに無意識と言いながら脳は動いてますものね~
    脳科学はまだ未知な分野が多いので少し気になりますね@@

  • クワトロ

    クワトロ

    2011/04/18 22:19:22

    脳科学のお話、興味津々です♪

    刺激に対する衝動が
    どのような形で決定されているのか
    それを考えると根本的な人間性というところにまで
    辿りつけそうですね。

    かなり興味深いお話です。

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/18 22:08:00

    若侑さん

    ちなみに僕も完全に納得しているわけじゃないんですよね。
    実際の感覚とあまりにも違う話なので。。。。

    ただし「実験結果」は事実なようですので,
    準備電位の発生は事実として受け入れているんですが。。。

    それが「感情」とか「意思」とかの複雑な状況まで適用できるのかどうか。

    自我とはなにか。感情とは何か。
    ということを「知る」ことは
    たとえ,それが化学反応や進化の結果だったとしても,
    自分を客観的に見つめられることになり
    人生を豊かにすると思いますよ。

  • 若侑

    若侑

    2011/04/18 21:59:48

    そうなんですか……。

    「嬉しい」とか「悲しい」とか、そういう気持ちも…ですよね。
    なんだか、こう考えると何かに対して
    幸せとか不幸とか考えるのも、空しい気がしますね。
    マイナスな気持ちの時にはいいですが。

    たとえば、一つの刺激(出来事やモノ)に対して、
    人それぞれの感じ方は違うではないですか。
    そういったモノも潜在意識のコントロールによるものなのかな?

    では、感じ方がたくさんある以上、
    その潜在意識はバリエーション豊かに存在していて、
    「意思」とか「自我」と呼ばれるものとは同じでは無くても、
    ニアなものとして位置づけてはもらえないのかぁ?

    なんか今まで悲しかった事、楽しかった事、
    本を読だり、綺麗なモノを見たりして感動した事。
    全てを化学反応として片づけられるのは、寂しすぎるな…って(T_T)

    私もその本を読んでみますね。
    いろんな方向からにわかに興味が…

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/18 21:40:34

    もつさん

    よろしくです。

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/18 21:40:22

    michikoさん

    うん。近代哲学では「自由意志」って人間の尊厳で大切なことらしいですよ。

    それと法律的にも。。。。
    誰かを傷害した時に,「意思」があるかないか。
    それとも脳組織的に「衝動」が起きただけなのか。

    むずかしいですね。

  • てらもっち

    てらもっち

    2011/04/18 21:39:05

    海月さん
     そうですよね。

     ちょっと考えて手を動かすなんて
     単純なことなんでしょうけどね。

  • もつ

    もつ

    2011/04/17 23:30:32

    こんばんは^ブログ広場からの訪問です(*・ω・*)

  • michiko

    michiko

    2011/04/17 23:06:23

    近代哲学みたいですね。
    私は古代のソクラテスが好きです。

  • 海月❧

    海月❧

    2011/04/17 22:54:24

    複雑なようで
    脳にとっては単純な行為なのかもしれないんですね。。
    興味深いです。