恭介

フランス降伏

勉強

6月14日は、フランスの降伏の日でした。

第二次世界大戦勃発後、ポーランド・ノルウェーを瞬く間に制圧したドイツ。

その次の目標はフランスでした。

しかしながらこの動きは、フランスも予想していました。

フランス軍は、ベルギー国境の北方に主力を配置。

南方のドイツ国境沿いにはマジノ線という要塞線を張り

ドイツ軍を迎撃する態勢をとっていました。

この2箇所の中間は、手薄でしたが

このエリアにはアルデンヌの森という広大な丘陵地帯があり

これがいわば天然のバリケードとして機能し

ドイツの機甲師団は通過できないと考えていたのでした。

1940年五月九日、ドイツ軍空挺部隊はベルギーの防衛線の後方に降下

主要な要塞、橋を制圧。

同時に、正面から機甲師団を突入させました。

連合国の予測は、少なくとも一週間は持ちこたえるだろうという

楽観的なものでした。

しかしわずか2日後、5月11日にはすでに突破されてしまいます。

慌てたフランス軍は、べルギー国境へ精鋭部隊を差し向かわせます。

しかしこのドイツ軍の進撃は、陽動作戦だったのです。

ドイツの主力機甲師団は密かに、アルデンヌの森を越え

13日午後には国境のミューズ河の渡河に成功

セダンに橋頭堡を築きます。

こうしてフランス国内にまんまと侵入したドイツ軍は北上を開始。

イギリス、フランス軍を後方から襲撃、海岸線まで追い立てます。

イギリス軍はイギリスへと撤退。残されたフランス軍は抵抗を続けるも壊滅。

6月14日にはパリが陥落。フランスは降伏をしたのでした。


#日記広場:勉強

  • ぺんちゃん~♪

    ぺんちゃん~♪

    2011/06/19 22:56:32

    西洋史専攻としては、何か書かなくちゃと思うけどw

    西洋古代史でしたからw(言い訳)

    でもね、フランス、ドイツ、イタリアは、元は一つの国だったのよね。

    フランク王国という大きな国で、それが分裂して3つの国に分かれて、

    北部がドイツ、西部がフランス、南部がイタリアになったのね。

    フランク人はゲルマン民族移動の時に南下してきたゲルマン人の一族だけど、

    やっぱり、もともと住んでいたラテン系の人が多かったのでしょうね。

    イタリア、フランスはラテン系、ドイツはゲルマン系ですものね。

    広義にゲルマン人というともしかしたら、ラテン系の人も入っちゃうのかもしれないけど、

    ま、私たちから見たらどっちでも大して変わりはないよね。

    ドイツ人とフランス人と、国が隣だとよくケンカするのでしょうね、

    ナポレオン戦争、普仏戦争、第一次大戦、そして第二次大戦、、今は仲は良いのかしら。

  • あんじい

    あんじい

    2011/06/15 22:53:38

    フランスがドイツ領だったら。。。なんだか不思議ですね。

    第二次大戦、だんだん風化しつつある話だとは思いますが、まだ生々しい記憶も残っていますよね。

    しかし、騎士のお姿、素敵です♪