☆力道山
先日、なんと女子高生の会話の中にこの名前が出てくるのを聞いてびっくりしました。小生も録画でしか観たことがなかったのですが、当時のお話しは色々と聞いていました。
大相撲で関脇まで昇進した力道山は1950年9月に引退し、ハワイと米西海岸でプロレス修業をした。帰国後の1954年2月、日本プロレスリング協会の旗揚げ興行として力道山、木村政彦組対シャープ兄弟戦を行った。前年にテレビ放送を開始したばかりのNHKと日本テレビが試合を中継し、一夜でプロレスブームが巻き起こった。
日本テレビはテレビ普及のため、1956年末までに首都圏の駅前や公園、商店街などに278台の街頭テレビを設置。喫茶店や食堂、銭湯などは客寄せのため、テレビを置き始めた。NHK放送文化研究所が1955年10月に行った調査では、プロレスは野球や相撲をしのぐ人気だった。(ここは引用しました)
戦後のテレビが普及するかしないかの時代だったそうです。聞いた話しによると、外人レスラーを空手チョップで倒すのを観るために、街頭テレビなどが人だかりの山だったそうです。今では考えられない光景だったのでしょうね。
沖田の嫁@まこ
2011/06/21 20:38:12
街頭テレビの前に人だかりというと、50年代を舞台にしたドラマでしか見たことありませんね~。
確かに今じゃ、テレビは一家に一台でワンセグもある時代ですしねぇ((何台も持ってる方もいますが^^;)
「時代が流れるのは早い・・・」最近母の口癖で(-。-)y-゜゜゜