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94歳 肥田医師のお話 2

ニュース


だけども病気の本体はよくからない。そういう事で苦しんだ人
が最後はがんや白血病で命を取られる、放射線はそういう性質
を持っているのです。

ところが落としたアメリカは直接ピカを浴びて、やけどをした
り大怪我をした人たちがそういう強い放射線で殺される、
これは隠すことが出来ないんで、そのまんま認めたんですね。
 
ところが後から街へ入った人が、今の医学ではわからないいろ
んな病気で苦しんだとうことを聞いても、それはその患者を
診た医者が、原爆のことを悪くいうためにデマを飛ばしている
んであって、体の中に入る僅かな放射線は全然害がない、と
いうことを、広島から爆弾を落としてから1ヶ月と2日目、
9月8日の日に、アメリカのあの爆弾を作ったグループの一番TOPの人から
2番目という偉い軍人が来て、まだマッカーサーが日本へ上陸する前に焼け
残った東京の帝国ホテルの前に、外国から来ているジャーナリストを集めて、
つまり微量な放射線は体に入っても何にも害はないんだということを世界に
向けて放送をし、日本の政府に向けてもそれを承知しろと。
 
で、広島・長崎で被害をうけた被ばく者は、アメリカの軍事機密である原子爆弾の秘密の一部を自分の体で知ったわけだから、これはアメリカの軍事秘密だから絶対に人にしゃべってはいけない、それから書いて残してもいけない、もちろん写真や絵で書いてもいけない、もし違反した物は厳罰に処すと、占領政策に最初にそれを日本で宣言したんですね。
 
だから広島・長崎で被ばくをして、兄弟も親もみんな死んじゃ
った、財産も亡くなった、行き場もない、そこら辺で倒れて
寝っ転がっていたたくさんの被ばく者が、私は広島・長崎で原
爆を浴びてとても今困っています、助けて下さいっていうこと
が言えなくなった。
 
これはアメリカが日本に原爆を投下したことも大変な罪悪です
けれども、それにもまして、戦争が終わって、自分の落とした
爆弾で、医学でなおしようもないという大変な病気を追ってい
る被ばく者に生きる道を閉ざすような大変悪いことをアメリカ
はしました。
 
それは自分だけが持っている原爆という新しい爆弾の秘密が、
よその国に漏れることを非常に恐れたからです。
 
みんなも知ってるように、アメリカ軍は戦争が終わってから7年間、
アメリカの鉄砲を持った兵隊で、実際に軍事占領をしました。
私たちは戦争で負けた上に、食べ物もない、家も焼けてない、
という中から日本の国を新しく作るために一生懸命働きました。
 
私は医者ですから、自然に被ばく者をたくさん見ることになり
ます。
 
日本の医者の殆どはアメリカの言う事をそのまま信じて、後か
ら街へ入った被ばく者が、かったるくて動くことが出来ない、
他はなんともないんだけども、元気で働いていたら、ある日突
然、大変なダルさがおこって会社へ行けなくなった。3日も4日
も続いてやっと軽くなったから会社に行ったら、その翌月また
同じことがおこって、要するに会社や工場で働き続けることが
出来ない、という患者がいっぱい出たんですね。
 
ところが日本の医者は、大学の教授から街の先生から、特に広
島長崎の医者はみんなそうでしたが、アメリカから特に被ばく
者を一生懸命診るような医者は、なにかアメリカに含むところ
があると考えると、睨む、お前たちはそういう意味でアメリカ
から目をつけると言われて、被ばく者を親切に診るということ
も困難になった。
 
つまり、他国の軍隊に占領されて、自分の国の政府も役人も何
の役にも立たなくなった、そういう状態に、私たち日本人は一
度、7年間苦しみを味わいました。
 
私は銀座で、酔っ払ったアメリカの兵隊が数人で、公然の場所
で、女性をレイプする現場を見たことがあります。日本の警官
がそばに立ってても、ちょっとでも手をつければ、その場で殴
り殺される、そういう占領を我々は受けたのです。
 
しかも、今の医学では全く診断も治療もできない、新しい原爆
病という病気、この病気の患者を研究をすることも、日本の学
者は、禁じられました。
 
日本の政府は、困っている被ばく者をなんとか生活させるため
に法律を作ってなんとか援護をするということも禁じられまし
た。彼等は日本アメリカの軍事機密を知っているまだ敵性の国
民なんだと。それを日本の政府が特別に面倒をみることは許さ
ない、こういう占領が続いたのです。


つづく