きいてニコタリーナ

きよ

ちょっと整理したいんだけど

なっげえ

日記

……やっぱり22時くらいに起きてしまう。

明るい時間に外出したい。本屋に行きたい。映画館に行ってみたい。

美味しいコーヒー飲みに行きたい。ハロワに行ってみたい。

あ、ヘタリア4巻買ったんだー。特装版。ネットショッピングだよ。

三大俺の嫁がちゃんと出てきたのでもう満足。民族衣装のリヒたん可愛いなあ。

そしてひまさんの、世界の多様性への愛はすごいなあと毎回思う。

世界の人々の可愛さだけでなく、それらを全力で愛するひまさんも素敵。

関係ないけど、セブンネットショッピングで

7月末発売の筈のざくろ特装版が予約できないのはなんでなんだぜ。



以下しばらく、全部冗談であることをご了承ください。

テクノロジーが発達すればするほど、人間は我儘になれる。

自分に都合のいい、決して自分を傷つけない相手としての

アンドロイドだっていつかできるのかも知れない。

生身の人間の価値のデフレ。

それは特に、女性の場合に顕著なんじゃないかと思う。

一般論だけど、男性って女性よりコミュニケーションが苦手で、

子供の遊びだって、男性は「モノ」との遊びが多い傾向にあるよね。

フィギュアやラブドールの究極系。他者でないアンドロイド。

どこまでも自分の好むように変わってくれる存在。

それに耽溺するのは、男性の方が早く、また深い気がする。

でもさ、その結果、生身の余剰女性たちは、きっとすごく不満を抱く。

私たちだって、愛し愛される相手が欲しい。

すると、市場の要求に応じて、今度は男性型の恋愛用ドール、

人間のような応答をしてくれる、高等なAIを積んだアンドロイドが出来上がる。

心も欲しい? 「まるで心があるように」応対してくれるなら問題ないでしょう?

どうせ、外側だけじゃ、本当に心があるかなんて分からないくせに。

そして、アンドロイドは決して人間を傷つけない。体も、心も。

なんという安息の世界。天国はそこにある。

そしたらやがて、ヒトとロボットの差異がどんどん希薄になっていって、

いずれは全てがロボットの時代がやってくるかもしれない。

全ては意のままに操れるマテリアル。

私もロボット。あなたもロボット。擬似恋愛を楽しみましょう。

快楽のプログラムを作動させましょう。互いのデータを混ぜ合いましょう。

そんな世界がやがて来ると思うと、喪女である私は楽しみで仕方ない訳ですよ。

みんなお人形遊びに耽溺しちゃえばいいよ。

いつ頃、時代は私に追いつくんだろうww



そんなことを考えたのは、たぶん私がえろい人だからです。

男性向けも女性向けも、エロサイトやら漫画やら恋愛ゲームやら。

そういうの、よく見るんだ。2次元多めだけども。

んで思ったのは、男性が女性に求めるものと、

女性が男性に求めるものは、根本的にどこかずれているのかな、と。

上手く表現できないけど、女である私が男性向けを見る時に感じる違和感。

多分に偏見が混じってるのは申し訳ないとして。

どっちがいいとかじゃないの。そういう差異。ズレ。

だから最終的には、お互いの別々の欲求を満たしてくれる、

それぞれのものをそれぞれに愛する、のも一つの未来像なのかな、と思ったり。

社会が発展すれば、それに伴って精神性も発展するんだろうか。

本当に、原始の時代から、ヒトは意思統合への道を進もうとしているか。

意思を統合することが不可能なら、それぞれの世界へ籠もってしまえばいい?

なんか昨日書いた、欠点が魅力とかいう話と相反する気もするけど、

どっちも世界の可能性なんだと私は思っている。