今日も元気にぐだぐだ徒然するよ!
……3時過ぎに起きられたよ! やったあ早朝起きだ!
今日はお出かけしよう。本屋に行こう。コーヒーを飲もう。
多次元に萌える人っているんだろうか。
1次元は線、2次元は面、3次元は立体。
4次元はそれに時空が含まれる。だった筈。
つまりだ。4次元萌えというのは、
女性を見るだけでその彼女の幼女時代が見える。
5次元萌えならさらに、男性を見れば
その彼がもしホモだったらのパラレルワールドが見えるかも知れない。
(あ、腐女子さんはその能力を標準装備でしたね☆)
1次元萌えについても考えてみよう。
線に萌える。すなわち漫画を見れば、その枠線を見ているだけでハァハァできる。
すげえ。最強じゃないか多次元萌え。変態って無限大だなあ。
所謂「萌え」とは、自分の中で完結した感情だ。
対象へ一方的に注ぐ愛情。見返りはない。
何故なら、相手は他者ではなく、他者に見えていたとしても
その他者性は自己の投影に過ぎないから。
自分の中で完結した世界。生ぬるい安息の世界。
しかしちょっと待て。双方的な愛情って何だ。
生身の相手に愛情を注いでも、それは本当に伝わっているか。
相手の愛情を、本当にありのままに受け取れているか。
心は本当に通じ合っているのか。どうやってそれを知ることができるのか。
所詮、人間の抱く愛情は独りよがりなものではないのか。
みんな、心が通じているという暗黙の幻想に浸かっているだけではないのか。
人間は自分以外の存在にはなれない。
どんなに相手の心情を慮っても、それは自分の思考回路で想像することでしかない。
完全な理解などあり得ない。勝手なイメージに当てはめて他者を見る。
「心が通じている気がする」だけ、高等なコミュニケーションのように感じるが、
「萌え」とそうでない愛情に、どれだけの差異があるのだろう。
それは、相手からのレスポンス。自分の中にないものが返ってくる。
自分と違う世界に触れることができる。
柔軟に受け止めれば、自分に何かしらの影響を及ぼす。
上手く行けば、自己をより高める方向に行ける。
つまり、コミュニケーションとは相手のために行うのではない。
自分が、他人が、それぞれに自己を最適化し、より良いものにしようという試み。
他人のためだなんて、ただの自己満足だ。
自己の中で完結した世界は停滞し、やがて腐敗する。
それを防ぐために、私はどんどん新しいものを己の内に吸収しなくてはならない。
「人間はみな胎児である。常に生まれ続けなければ成長する自己を維持できない」
吸収し、考察し、再構築する。成長する。そのための手段。
私のコミュニケーションは今、非常に閉鎖的で受動的だ。
世の素晴らしい先達の意見を受け取り、考える。
でもそれだけじゃ駄目なんだ。本当はもっと、生身の情報が欲しい。
私は変わる。変わり続ける。でもそれだけじゃない。誰かを変えたい。
双方向的なコミュニケーションがしたい。
私は非常に恐れている。
劣等感と無力感に支配され、つまらない人間であることを周囲に知られたくないと願う。
私と接する人に、つまらないものと接したが故の悪影響を与えたくない。
でも私は、良い影響を受けたい。誰かから、何かから。
私は生まれ続けたい。
そのために、この恐怖を、劣等感を克服する必要がある。
そのために何ができるか。