鬱陶しいと感じられるしあわせ
……帰ってきた。
木曜日は外出しなかったので外が涼しいことを知らず、
普通に半袖で出かけたらちょっと肌寒かった。
生涯2度目のスタバでソイラテを注文。まだ慣れない。
それにしても、実家の最寄りのバス停に降り立った瞬間、
最初の一息、その空気の匂いで感じる、
「ああ、帰ってきた」って気持ちは何なのだろう。
高速バスが駅前に着いた時には特に感じないの。
そこからバスを乗り換えて、実家の傍で降りたその時、なの。
どこにでもある田舎だし、そんなに厳密に
空気の匂いを嗅ぎ分けられる筈がないんだけど。
で、新潟に戻って来た時も、「帰ってきた」って思うけど、
こっちの場合の実感は、割と視覚的なんだよな。
駅前の風景、混雑とか、近所のコンビニや住宅地とか。
夜中ふと歩いて行ける距離にコンビニがある環境。
新潟→会津→病院→実家の、1日かけた長旅の間には、
本を読んで、音楽を聴いて、バスの窓から流れゆく景色を見ながら、
いろいろなことを考える。いい刺激にはなってるんだろうな。
で、今回考えたことのメモを取ってみた。
揺れるバスの中等で書いた走り書きを解読したのが以下。
・えろ妄想と知識を得るエクスタシー
・個の必然性 のっぴきならぬギリギリ
・インスピレーション 外と繋がる
・(円の中で胎児のように丸くなる棒人間の絵?)
・(円から出ようともがく棒人間の絵?) 狭い…
・批評家に成り下がりたくない 虚無に堕したくはない
・コミュニティとウイルス・ファージ
・娼婦の純粋性
……バスを降りてしまうと何を考えて書いたのかよく思い出せない。
どうせ毎日暇だし(本当はそれじゃいけないのだけど)、
今後少しずつ思い出して、思い出したらここに書いていこうと思う。
なんでそんなことするかって、バスの中で考え事したあの時間が
すごく楽しかった気がするからだ。
どうでもいいが、今回いくつかの自分の癖に気づいた。
考えながら喋ろうとすると唇をいじる。
ふと面白い考えが浮かんだ時、複数の知識が繋がりそうな時は
指や足、もしくは体全体でリズムを取る。
完全に繋がると、嬉しさのあまりものすごく挙動不審になる。