ねむれぬーよにー♪ めはきらーめくー♪
……節電したけりゃテレビを消せ、とテレビは言わない。
見上げなくとも心には果てしない宇宙がある(騎士乙女byALI PROJECT)。
自分の中で完結したこの愛おしい物語の世界は、確かに果てしない。
何にでもなれる、何でもできる、どこにでも行ける。無限の可能性。
でも、ひたすら自分の心の中を覗き込み、耽溺するのをやめて、
ふと外の世界に目を向ける時、戦慄する。いつでも、何度でも、愕然とする。
外の世界の、本当の果てしなさ、揺るがぬ存在感に。
自分の、自分の世界の、書き割りのような貧弱さ、あまりの浅薄さに。
ああ、私はなんて小さいの。今まで、なんて狭くて、脆い世界に居たの。
外の世界はなんて恐ろしくて、美しいの。
真実を暴かれた衝撃。声にならない悲鳴を上げて、崩れ落ちる。
目を逸らして、尻尾を巻いて、内側の世界に逃げ帰りたいけど、目が離せない。
小さな私。広い世界。いつでも現実に逆襲されて。
そして思う。「私の世界には、まだ、足りないんだ」。
足りない。足りない。足りない!
強烈な飢餓感。心許なさ。身の程知らずの強欲。
私の世界は、大きく口を開ける。天にも届かんばかりに。
そして吸い込む。掃除機のようなパワー。次々と口の中へ。
入ってきたものを、頬張る。咀嚼する。嚥下する。消化吸収する。
目についたものから手当たり次第。貪欲に、己のものに。
いつしか、私の世界は限りなくデカくなる。
現実の世界よりなお大きく。宇宙よりなお広く、美しく。
そのとき初めて、心から言う。「心には、果てしない宇宙がある」と。
そんなイメージ。
が、こないだのメモの、円の中の棒人間の絵から発展した。
……自分の世界が卑小だと気づく時、その殻を破って外へ出ていくのではなく、
あくまで自分の物語を育ててやれ、なんなら実際の世界よりデカくしてやれ、ってのが、
どこまでも私は物語書きだな、と思う。
まあ、そんな気概が実際にあればな。実際はヒッキーニート。
俺やればできるんすよ、てのは中二病もこじらせとる。
学びたい、自分と物語をよりよくしたい、という願望と、
嫌だお外怖い、他人と関わりたくない、って逃避的な部分がせめぎ合い、
今は後者がだいぶ優勢。長時間人と接する仕事なんてできないよしたくないよ。
ここで前者を取れるようになれば、「森田療法」を読んだ甲斐もあるというものだが。
たぶんまだ、いろいろ余計なことで迷ってる。
バイトしながら勉強する? 定職を探さないの? 職業作家を目指すの?
本気でやる気なの? また途中で挫折するんじゃないの?
とかいろいろ。ぐちゃぐちゃと。
何もしないまま、が、一番後悔することは分かってるつもりなんだけど。
何をするにしたって、私から物語を切り離すなんてできやしないことも、
分かってるつもりなんだけど。