ひまわり畑を眺める一匹猫

招き猫

猫はただ、風に吹かれながらひまわりの花を観ていました。
まるで懐かしいぬくもりを思い出しているかのように。

一頭の競走馬からもらったもの③

人生

私の大好きな競走馬、ライスシャワーには「勝つ事が望まれない馬」というレッテルが貼られてしまいました。
大衆が選んだヒーローは、メジロマックイーンでありミホノブルボンだったのです。
ライスは、この2頭の大記録達成の邪魔をしただけでなく、事もあろうにライスと死闘を繰り広げたブルボンは、そのレースがきっかけで故障し、引退を余儀なくされてしまったのです。
ライスはいつしか「関東の黒い刺客」とまで呼ばれるようになりました。
しかし、ひねくれ者の私は、そんなライスがたまらなく好きになって行ったのです。

マックとの天皇賞を勝利で終えたライスは、夏の休養に入ります。
夏の間ゆっくり身体を休め、秋のG1戦線に備えるのです。
ところが、夏の終わりになっても、ライスには春の気合が戻りません。
ライスは春の天皇賞で、マックを打ち破る事にすべてのエネルギーを消費し、燃え尽きてしまったかのようでした。
それだけ、春の天皇賞でマックに勝つというのは偉業だったのです。
当のマックはというと、天皇賞の後の宝塚記念を涼しい顔で圧勝しています。
マックにとって、春の天皇賞の敗北は、彼のレースキャリアの中の単なる一敗に過ぎなかったのです。
マックに単なる一敗を与えるために、ライスは燃え尽きるほどのエテルギーを費やしたという事は、ある意味でライスはマックに敗北していたのかもしれません。

ライスは本調子が戻らないいまま、秋のG1戦線に挑まなくてはならなくなりました。
初戦、オールカマー(GⅢ2200m)は格下の相手に敗戦。3着に敗れます。
その後、天皇賞・秋(GⅠ2000m)6着、ジャパンカップ(GⅠ2400m)14着、有馬記念(GⅠ2500m)8着と凡走を繰り返し、ついにライスは競走馬として一番強い時期と言われている5歳の秋を、一勝も出来ずに終えるのです。

翌年、平成6年、ライスは京都記念(GⅡ2200m)も5着に敗れ、2度目の春の天皇賞の前哨戦、日経賞に挑みます。
そのレースは5歳になったばかりの強豪、ステージチャンプも出走し第三コーナーから早くも先頭に立ったライスを差し切り優勝。ライスは強豪チャンプの2着という事で、復活の兆しが見えたと思われたのです。
ところが、本番の天皇賞を前に、ライスは不幸に見舞われるのです。
調教中、急に足を地面に着けなくなるほどの痛がり方を見せたのです。
診察結果は、骨折でした。
この時点でライスの2年連続の天皇賞制覇の夢は、潰えました。

骨折はかなり深刻で、ライスの現役生活を脅かすほどのものでした。
ところが、ライスは平均的な競走馬よりも小柄な馬だったのです。
軽い馬体重のお陰で回復も早く、その年の復帰は無理であろうと思われていたのですが、なんとか年内に復帰できる目途が立ったのです。
目標は暮れの中山競馬場、有馬記念です。
そのレースには、その年日本中を沸かせた最強4歳馬ナリタブライアンと、外国産の最強4歳牝馬ヒシアマゾンが出走するのです。
病み上がりのライスに勝ち目はありません。
ライスにとっては病み上がりの初戦、勝つ事よりもレース勘を取り戻させるための出走だったのです。
たまたまそこに、最強4歳馬2頭がいただけだったのです。
レースは予想どうり最後の直線で、最強馬2頭のマッチレースとなります。
ところが馬群から抜け出す2頭を、必死で追うもう一頭がいました。
ライスです。
ライスはこのレースに勝つために、必死で2頭を追ったのです。
陣営は勝つつもりなど無かったのに、ライスの中には勝つための闘志が甦っていたのです。
結局、最強馬2頭には追いつけずに、ライスの有馬記念は3着に終わりました。
しかし、ライスに勝つための闘志が帰って来たことは、陣営にとって大きな出来事だったのです。

翌年、平成7年。ライスの馬齢は数え7歳になりました。
もう、競走馬のピークを越え、ベテランの域に達したライスの目標は、恐らく最後になるであろう春の天皇賞です。
この天皇賞こそ、前編で私が書いた私たちのレースになるのです。
その前哨戦、昨年と同じローテーションで京都記念、日経賞と2つのレースに出走しますが、京都記念6着、日経賞6着と凡走します。

いよいよ最後の天皇賞を前に、ライス陣営に一つの大きなニュースが飛び込んできます。
あの最強馬、ブライアンが故障し天皇賞を回避するというのです。
陣営に、ライスに最後のGⅠを勝たせてあげられるかもしれないと言う、希望が生まれたのです。

            つづく・・・

  • 招き猫

    招き猫

    2009/05/07 21:10:42

    西の魔女さん
    彼が活躍していた頃の競馬は、まだステイヤーが活躍出来た時代でした。
    現代の競馬はスピード競馬主流で、彼のような長距離血統は滅びてしまっています。
    3000m未満のG1を勝っていない、典型的なステイヤーだった彼はまさに最後のステイヤーだったと言えます。
    そう言う意味では魔女さんの仰る通り、かなり重いものを背負っていたと思います。

  • 西の魔女

    西の魔女

    2009/05/07 11:12:16

    ドラマだね~・・・

    なにかを背負った馬なんでしょうね。

  • 招き猫

    招き猫

    2009/05/06 09:03:22

    ♪バナナっ娘さん
    はい、当然♪バナナっ娘さんは競馬は知らないでしょうねぇ。
    しかし、馬と言う動物は実際に見た事があるとおもいます。
    動物園とか、牧場とか行けばいますからね。
    馬の目を見るとですね、とっても優しい目をしているんですよ。
    そして馬はとっても賢い動物なんです。
    昔から人間の生活に深く関わってきた動物なんですよね。

    ライスの事、少しでも興味を持ってくれて嬉しいです。
    次回はいよいよ最終回。
    ハンカチを用意して読んでくださいね。。。

  • 招き猫

    招き猫

    2009/05/06 08:58:44

    yuckyさん
    はい、この頃の競馬は詳しいですよ~!
    今は全然やってませんので、どの馬が強いとか全くわかりません。

  • 招き猫

    招き猫

    2009/05/06 08:53:45

    saloさん
    はいはい、ライスはマックイーンよりも少し後の世代ですね。
    マックの最後に引っかかった感じでしょうか。
    ライスの後に出てきたのが、3強世代と言われる
    ナリタタイシン、ウィニングチケット、ビワハヤヒデとなるわけです。
    そしてビワハヤヒデのひとつ下の弟が、かのナリタブライアンですね。

    現在は数えではなく、満みたいですね。
    誕生日は関係なく、お正月が来ると一斉に全ての馬の年齢が上がります。
    以前は数え3歳でデビューして、4歳を迎えるとクラシックレースでしたが
    現在は満表記なので、2歳でデビューとなります。

  • 招き猫

    招き猫

    2009/05/06 08:41:59

    廉さん
    まさに波乱万丈の人生(馬生)だったライスシャワーですね。
    絶頂期あり、不調期あり、そして最後に再び栄冠を手にし、そして・・・
    彼ほど山あり谷ありの競走馬としての生涯を送った馬は、それほどいないと思います。
    次回最終回です。
    是非読んでくださいね!

  • ♪バナナっ娘

    ♪バナナっ娘

    2009/05/05 23:26:20

    今日初めて①から読ませてもらいました(●`・ω・)ゞ

    あたしは、競馬は知らないケド←当然ですww
    なんだかライスシャワーの事が好きになりました♪♪

    続きが楽しみです( ●≧艸≦)

  • yucky

    yucky

    2009/05/05 14:29:00

    ねこさんって、競馬こんなに詳しかったですね~。
    おどろきw

  • salo

    salo

    2009/05/05 06:42:07

    きゃ~~~@続きが、早く読みたいです!!!

    でもなんとなく・・・メジロマックイーンで思い出したような…
    あの頃のお馬さんなんですね~・・・歳が・・・笑^^

    ・・・と、馬って、数え年齢なんですか?!
    なんでだろ・・・?!

  • 廉

    2009/05/05 06:21:14

    >調教中、急に足を地面に着けなくなるほどの痛がり方を見せたのです。
    >診察結果は、骨折でした。
    >この時点でライスの2年連続の天皇賞制覇の夢は、潰えました。
    >骨折はかなり深刻で、ライスの現役生活を脅かすほどのものでした。

    ああ、そんなこともあったのですね。
    波乱万丈な生き方をしてきた馬なんですね~。