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陰陽師★瀬織津

自分の好きを表現し、具現化するところ

『平家物語』に見る陰陽道 14

その他

○四方拝
(巻第九 一 小朝拝の事)下p54

主上(しゆしやう)渡らせ給へども、節會も行はれず。四方拝もなし。

《訳》
(安徳)天皇はいらっしゃるけれども、節会も行なわれず、四方拝もない。

《解説》
 四方拝は正月一日の早朝に宮廷で行われる陰陽道儀式。天皇が寅の刻(午前四時頃)、束帯姿で清涼殿の東庭に出御。伊勢神宮を始めとして天地四方・属星(北斗七星の中で生年に当たる星)・山陵などの神霊を拝し、年災を祓い、宝祚の無窮・天下太平を祈ったもの。節会は正月に宮中で行なわれる宴会。


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  • 陰陽師★瀬織津

    陰陽師★瀬織津

    2009/05/10 01:29:51

    斎様

    書き込み有難うございます。
    旺文社古語辞典によりますと、

    節会 せちゑ
     もと、節(せち)の日の集会の称であったが、節の日に朝廷から群臣に酒食を賜ったところから、後には、「節分」やその他の公事(くじ)のある日に宴会の称になった。大節として即位・拝賀など、中節として白馬(あおうま)・豊の明かりなど、小節として元日・踏歌など、その他、臨時として譲位・立后・立太子・任大臣・相撲(すまい)などの節会がある。

    となっています。ここでは拝賀の節会ですね。
    また、

    節供(節句) せっく
     せちく「節供」の転。節日。人日(じんじつ)一月七日、上巳(じょうし)三月三日、端午(たんご)五月五日、七夕(たなばた)七月七日、重陽(ちょうよう)九月九日の五節句をいい、季節の変わり目を祝う日

    とあります。
    節(せつ)は、「せち」ともいい、「節日」「節供」「節会」などの略ですから、ごっちゃになるのかもしれませんねえ。

    私も調べて大変勉強になりました。

     四方拝は学研ブックエソテリカ「陰陽道の本」にあり、晴明・陰陽道にはまった頃から知っていました。
    陰陽道祭祀が宮中にはあるのだなーと、知った当初はびっくりしたものです。

    さて、武士系、貴族系平氏といいますと、清盛の子供の代まではかつがつ武士系、いや貴族系が半分か。
    孫の代にはほぼ貴族のみという感じがします。

    経正(つねまさ)、敦盛(あつもり)のキラキラ貴族系があってこその、武闘派・知盛(とももり)、教経(のりつね)が目を引くというものです。私はどちらも魅力的に見えますが。

     武士でありながら、支配階級の貴族へ憧れた、そして貴族のようになっていく平氏が、完全なる武士集団たる源氏に倒されたということが、貴族から武士への時代の変遷を表した事象となったのではありますまいか。平家滅亡とは、決して貴族の世には立ち戻らないという、実に意味深いものだったと思います。それは歴史・時代の意思だったのでしょうか。平家は敗者ではありますが、歴史的に意義のある役割を担っていたのだと思います。

    わたくし、長門の国引島(下関市彦島)に住んでおりますれば、こうして平家の事を書くことで、鎮魂になれば、と考えております。
    怨霊鎮めもまた、陰陽師の役目なれば。

    ついつい書き込んでしまいました。

  • 斎

    2009/05/09 18:02:06

    安徳天皇…確か武士系平氏と貴族系平氏の血を継ぐ、とどこかで読んだ覚えが(これもうろ覚え)
    四方拝は初めて知りましたが、節会というと何故か「上巳節会」「端午節会」「重陽節会」と七夕の五節句と頭の中でごっちゃになってます(苦笑)