☆三国志
赤壁の戦いで、孫権・劉備連合軍は勝利を収め、曹操を退けたのですが、ここからがまた問題になりました。つまり、荊州をどうするかということです。
「打倒曹操」という大きな共通の目的のために孫権と劉備は連合したのですが、その後のことまでは話し合われていませんでした(むしろ、わざと避けていたみたいです)。そのため、どうしても手に入れたい荊州を誰が領有するかの問題がにわかに浮上してきました。
しかし、襄陽にはまだ曹操軍が残っているため完全に押さえることは難しかったといいます。また、呉には襄陽に送り込む軍の余裕がなく、手をこまねいていたわけですが、ここで劉備は荊州の南部を抑えてしまいます。
そして、三者はしっくりしないままですが、天下三部の計が実行され本格的な三国時代に突入することになりました。
ノナ
2011/09/04 07:52:00
蜀としては、益州を得るまでの地盤となる荊州はどうしても手放せなかったでしょうねぇ。
呉から再三に渡り、荊州を返せと要求されてたみたいですが、
孫尚香を嫁にやるという罠にわざとハマって、自ら呉に赴いたりしたのもこの頃ですかね。
荊州南部攻略は、黄忠を得たというだけで大きな功績かと思います。