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陰陽師★瀬織津

自分の好きを表現し、具現化するところ

『平家物語』に見る陰陽道 16

その他

○西塞がり、道虚日
(巻第九 七 三草勢揃への事)下p78

 二月四日の日、源氏、福原をせむべかりしかども、故入道相國の忌日と聞いて、佛事とげさせんが爲に、その日は寄せず。五日は西塞(ふさ)がり、六日は道虚日(だうこにち)。七日の日の卯の刻に、…、源平矢合せとぞ定めける。

《訳》
 二月四日の日、源氏勢は福原に攻め入る手はずだったが、故入道相国(清盛)の命日と聞いて、(平家方に)仏事を行わせるため、その日は攻め寄せなかった。五日は(方忌の)西塞がり、六日は道虚日(による凶日)。七日の午前六時頃に、源平矢合せと定めた。

《解説》
 福原に都落ちした平家を源氏が攻めようとして、陰陽道でいう日の吉凶、方位を考え、開戦日を決めるくだりである。
 テキスト下段訳注には、「西塞がり 大将軍(金星の精)のある方角を塞がりとし、この方角に向かって事をすることを忌む。」とある。五日は西に大将軍があるとして、西への進発を慎んだ。
 大将軍は太白(金星)の精で、十二年で四方を一周するとされる。

 しかし他の書では「天一神遊行」による西の塞がりとして異同もある。

 また同テキスト訳注に「道虚日 出行に忌む日。毎月六日、十二日、十八日、など。」とある。現代の暦本には暦注に道虚日は出てこないが、『陰陽略書』(安倍泰忠)『ホキ内伝』(伝安倍晴明)などに凶日として記述がある。撰日の根拠は不明で、日もまちまち。一日、六日、十二日、十八日、二十四日、晦日(みそか)。外出・旅行に甚だ凶、とする。

 矢合せは戦い始めに、両軍から互いに鏑矢を射交して、開戦を知らせること。
 この後、四日は源氏にとって吉日であるとして、敵陣に接近しておくために源氏の福原への進軍は四日になった。源氏方が平家追撃に吉日を選ぶほどの余裕をみせたとも考えられている。

  • 陰陽師★瀬織津

    陰陽師★瀬織津

    2009/05/12 22:27:40

    斎様

    占いで吉と出たから、この戦、勝ちじゃ的に、兵士の士気を上げるために利用されていたところが、大です。

    物は言いよう、と思います。

  • 斎

    2009/05/12 19:07:41

    都落ちした平氏に対して追撃する側の源氏には何だか余裕が感じられる気がしますね。
    でも、開戦や進軍にも方違えなどで問題が生じるとは…当時の戦争は色んな意味で頭脳戦の様な?

  • 陰陽師★瀬織津

    陰陽師★瀬織津

    2009/05/12 00:41:22

    あまねさま

    書き込み有難うございます。
    さっそく貴殿のHP、お気に入りに登録させてもらいました。
    これから、じっくりと見させていただきます。

    どうもありがとうございました。

    普通、平家物語をこのように読む変わり者が居ないと思います。私くらい?××

  • あまね

    あまね

    2009/05/12 00:01:15

    こんにちは ご訪問ありがとうございます。
    石楠花(しゃくなげ)で正解でしたね。
    主人は平家物語をこのように解釈して読んだ事がないそうで
    たいそう関心していました。
    わざわざ本をひっぱりだして記述を確認していました。

    主人はシャイでこういうSNSは苦手なので登録はしていません。
    よければHPに遊びにいらして下さいとの事です。
    http://hakoniwa.arrow.jp/