☆三国志
劉備は徐庶から諸葛亮のことを聞き、新野から20里も離れた隆中まで会いに行きますが、なかなか会うことができず足掛け2年、3度目の訪問でやっと会うことができました(三顧の礼)。この時、劉備47歳、諸葛亮27歳だったとされています。そして、この出会いを「水魚の交わり」と後世に伝えられることになります。
諸葛亮は字を孔明といい、三国志演義では超能力者のように描かれていますが、あれはあくまでも話を面白くするためのものです。諸葛家は地方の名家であり、兄の瑾、姉の鈴、弟の均がいましたが、母親は均を生んだとき亡くなり、その後、父親珪は継母を迎えますが前妻の死後3年後に亡くなっています。その後、瑾は江東で継母に仕えることになりますが、他の3人は叔父の諸葛玄のもとに身を寄せることになりました。これは、乱世であったので一族の血が絶えてしまうことを避けるためだったとされています。
また、諸葛亮は劉備に授けたのがあの有名な天下三分の計でした。その内容は「中原は曹操が支配し勢力も安定しているのでそのまま曹操に譲っておく。次に、南方の長江流域は孫権が固めているし、地の利もあるのでこれは孫権に譲っておく。そこで、劉備はまず荊州を押さえ、その後不安定な益州を押さえ、曹操、孫権に対抗する第三の勢力になり、力を蓄えたら曹操、孫権を倒して天下統一をする」と言うものでした。
ところで、軍師として使えることになった諸葛亮は劉備と寝食を共にする生活をおくりますが、関羽や張飛からは不満の声が上がってきました。
ヨッシー
2011/11/19 14:56:56
ゲームを思い出しますw
saki
2011/11/16 20:15:29
NHKの人形劇を思い出しちゃいました。