UNKNOWN HEROES
http://www.youtube.com/watch?v=m5MPg_QzP4s
697 UNKNOWN HEROES - 知られざる英雄たち - 東日本大震災の復興 ...
今年もあと1か月を切りました。
そして、日本にとどまらず、世界に衝撃を与えたニュースの一つは- 東日本大震災だったと思います。
大震災があった時に、私は機上でフランスに向かっていました。
海外で知った日本の惨事・・そしてバスの中でも日本のニュースが流れ
スーパーでは、見知らぬ人から、日本は大変だったねと声をかけられ、
遠い異国の出来事に、沢山の人が関心を寄せ、 - 心配してくれているのが分りました。
この動画の中の登場人物は、見てくださった人、全てに当てはまります。
そして、この動画の最後の言葉は、日本の未来に希望を繫ぐ夢と
叶えられた時に、語りたい言葉だと思います。
❀Lily❀
2011/12/05 03:27:25
kariさん
さすがに本を沢山読まれるkariさんの
文章は、ステキな文章ですね。
でもね~。根がお笑いのkariさんが、
こんな良い文章書くと、私どうコメントしていいか分らへんねん。あっ言葉がww
お昼にこの文章を読んで、すぐお返事と思いながら、
kariさん、マグマを噴火しすぎて、真面目になってしまったんではと心配になり、ww
お庭を覗きに行ったら、あ~良かった、変わってないわと安心しましたww
えっ?せっかく人が真面目にコメントしたのに
おちょくってるのかって? そ~れ逃げろ~や~れ逃げろ
とっつかまったら、kariちゃんにしばかれる♪
(ちなみに 真っ黒けの土人は、草競馬の曲で歌われていました。)
冗談はさておいて、深いコメントをありがとうございました<m(__)m>
kari
2011/12/04 21:20:47
生きて行くことは易しいことじゃないですよね・・・
諦めずに前を向いて歩いて行くためには、
どこかに置いて行かねばならない何かが、
持ち続けて行かねばならない確かなものが、
この映像を観ながら、ふっと、そんな気持ちに
なりました。必ず立ち上がってくることは、
信じて疑うことはありませんが、世界中には、
まだまだやり切れない出来事が多過ぎます。
そのほとんどは人間が自ら引き起こしている
ように思えてなりません。。。
❀Lily❀
2011/12/04 17:38:17
ひろちゃん
阪神大震災で、ご主人と叔母様ご一家は、大変危険な目にあわれたんですね。
神戸から離れていても、私が住んでいるところは、震度4くらいの揺れで
東海大震災が起こったのかと思ったほどです。
早朝から出かける予定があり、乗せてもらった車の中でのニュースは
高速道路が落下したとか、ビルが倒壊したとか、
それまでの日本の建築物の技術では、考えられない事態を伝えていて
そんな!!!嘘でしょ?冗談だよね?とあとの言葉が続きませんでした。
そんなときに、連絡がとれないのは、恐怖に近い不安で一杯だったと思います。
ご主人も、叔母様ご一家も、本当にご無事で何よりでした。
そして、辛い思い出を、話して下さって有難うございました。
私のニコ友とそのご友人は、阪神大震災を経験し、避難所で生活をされたそうですが、
今回の東日本大震災で、そのご友人はまた被災され、奥様を亡くされたそうです。
一緒に辛い思いをしただけに、何で2度もこんな恐ろしい目にあって、
悲しい思いをしなくっちゃならないんだろうと、なげかれていました。
日本に住んでいる限り、地震は避けられないとはいえ
この2つの大災害を目のあたりにすると、もし自分達が今度被災したら
ちゃんと立ち向かっていけるのだろうか? 報道されていた現地の人達の知恵や
勇気を生かせるだろうか?と、そう遠くない未来を憂います。
ひろちゃん、いつも心からのコメントを有難うございます。
ひろちゃんに二コタで会えて、良かったな~と本当に思います(●^o^●)
❀Lily❀
2011/12/04 17:08:09
みくさん
途方もなく、困難な状況でも、
人は出口を探そうと、本当に一人一人が
一生懸命立ち向かっていくんだということが
切ないくらいに伝わってきて、涙がこぼれました。
ひろちゃん
2011/12/04 14:03:19
阪神·淡路大震災がおきた1995 年1月17日(火)は私にとっても忘れられない
一日でした。当時主人は単身赴任で大阪市内に住んでおり安否が確認できた
お昼の11時半頃までまったく仕事が手につかなくて、上司も仕事はしなくていいから
携帯で電話をかけ続けろと言ってくれました。固定電話はすでにNTTが回線切れ
を起こし、携帯の方が繋がる確立が高かったためです。
主人は公衆電話の前に2時間半ほど並び私に連絡をくれたのでした。
ほっと安堵したと同時にこみ上げてきた思いは今も忘れません。
その被害の甚大だった神戸市垂水区には叔母一家が住んでおり
無事との知らせは数日経ってからでした。幸い一家は道一本隔てて
無事でした(道路の中央に大きなひびが入り対面の方はお亡くなりに
なられたとか)
神戸で学んだことが今回の震災に生かされているかどうか、
時の首相は海外からの援助の手を断るという大失態がありましたが
今回の東北の地震と津波は世界中の助けを受けることができましたね。
それだけでもよかったと思います。日本の政府はこういった非常時に
法律や建前を全面に押し出し受け入れを遅れさせるような対応を
平気でしますから。
私も海外からのお友達から、メールを受け取り励ましを
たくさんもらいました。
今回の地震で私たちは多くを失いましたが、あたたかな心を
どんなにかたくさんもらったことでしょう!!
東北は必ずや以前にも増してきっときっと美しく甦ります!!
みく
2011/12/04 11:09:01
この動画に尽きると思います。