私とアイヌのおじいさんとの話
子供時代なので、50年以上前の事だ。
その頃、実家ではもしかしたら白老かも知れないし、
別の場所だったのかも知れないが、
山菜取りを其の近くに古い祖母の知り合いが居たので
そこで自宅から持って来たお弁当を食べさせて貰って
お茶を出して貰って、お昼は休みながら、山菜を取って
帰って来ていた。
子供だから、お昼はすぐに食べ終わって、
祖母がお茶を飲みながら、色々と話をして
其の後にまた山菜取りに山に入ると言うので
其れが終わるまでの間、少し歩いてアイヌのサンタさんの髭の様な
御爺さんと話をしていた。
その前に近所にアイヌの女の人と結婚した人が居て、
子供もいた。
近所の人は差別どころか、「『流石』、アイヌだから神様(神棚)へのお勤めは厳しい」と
話していた。
お水を上げる順番とか、要するに供物を上げる順番とか、朝晩手を合わせるとか
今は覚えていないが、きちんと守っているとの事。
詰り、当時の北海道の人は神道と同じ神様を守って居る事は知って居たし、
其れを厳しく守っているのは知って居た。
だが、それが出来なくなった。
動物愛護団体の圧力で狩猟禁止になったのである。
日本中の神社の中では特区を設けて、何時でも狩猟をして良いし、其の肉を分け合って食べても良い地区を頑として、設けていて、更に昔からの行事も守っている地区もある。
アイヌは日本の法律を守った。鮭も勝手にとっては行けなくなった。
山菜だけでは食べてはいけない。
そこで日本政府はアイヌの人に土地を与えた。
其れが痩せて石だらけで種を植えても小さな野菜しか、
みのらない土地と言うのが彼らの言い分である。
そんな事は無い。更地の平地をちゃんと区画整理をして渡したのである。
荒れ地にしておくので日本人が開墾すると、ちゃんと野菜が実った。
詰り、畑の秋の土お越しから始まるやり方を知らなかったのである。
アイヌのおじいさんは、アイヌは畑を耕す事は知らなかったと言った。
そこでアイヌは土地をアイヌの言う日本人(和人)に貸した。
彼らは地主になったのである。
3軒に分けて貸す物も在ったが、御爺さんは2件に貸して、後の一つは
草ぼうぼうにしておいた。
2件でもナイフで色々な物を作ってお土産屋に売った。
何もしないでいるのは良くないし、ナイフの使い方はいつも訓練してなければ
行けなかった様だ。
所が戦後の農地法で、人に貸している土地は小作人の物になった。
我が家も広大な土地を取られた。
多くの地方に多くの土地を小作人に貸していて、
全部彼らに取られた。
祖母の苦労が水の泡になった、泣いても泣ききれない悔しい話である。
アイヌもせっかく貰った土地が、そこで小作人に取られてしまった。
彼らは路頭に迷ったので在る。
いっきに生活が貧しくなった。
それで本州に出稼ぎに出たいと言う若者が出てきたが、
御爺さんが言うには「この地を離れると神を否定する血が混じって神を裏切る」と
言う伝承が数千年も前からあるそうだ。
血が混じると言う事は指を切って血を垂らして混ぜる事かと聞くと
結婚する事だと言う。
二人の子供がアイヌと神を否定した人間の血が混じって、
アイヌが神を裏切ると言うのだ。
そんな伝承が合って、許可をしないアイヌの人と
ナイフをいつも使って器用にナイフが仕える様になる木彫りのお土産で
何とか細々と食べて行ければ良いと言うのでアイヌの中で
論争がある事も教えて貰った。
私も家も沢山の土地を取られて、それは商売をしていたが、貯まったら
地方に土地を買って小作人に貸して、貯まったら土地を買って小作人に
貸してとやって、老後にそれらの土地を売ってと子供達にも分けてと
贅沢をしないで戦前、戦中にやって来た行為が全て
無駄になった事である。
祖母に言わせれば、我慢に我慢を重ねて働いて、土地を買って来たのに
全部無駄になったと、何時も泣き伏していた。
同じ苦労をさせられているのである。
そしてアイヌは話し合って食べて行くには本州に狩猟で無い仕事を探しに
出た部族も居るのだろう。
其処はアイヌの人達の方が詳しく知って居るのだろう。
唯、御爺さんは其の伝承が在るから反対である。
神を裏切ったらの天罰も話してくれた。
私は祖母から教えて貰った神を恐れなければならない天罰を話した。
一つ一つを言うとアイヌのおじいさんの方が一つ多かった。
朗々と神話を頭に中に在ると言って、教えてくれた。
アイヌのおじいさんに言わせると自分達の言った神話の方が
元の神話に近いそうだ。
神棚も私の腰を持ち上げて見せてくれた。
唯一の神で同じだと教えてくれた。
だけどアイヌには色々な部族が合って、
少しずつ神へのお早苗の順番か長ね物が違うのか、違うと言う。
日本もお犬様や、御狐様、鳥を神社のシンボルにしていたりと
違うと私は言った。
ナイフの形も違うし、其の形のナイフを持つように数千年も伝えられた
アイヌの部族も在る。
私の方がアイヌの事を知って居るのかも。
そして、恐れていた伝承通りにアイヌはなった。
のたもた
2012/05/02 23:00:46
みみやん様
アイヌの人の地主は日本政府が狩猟禁止の見返りに土地を与えたのです。
其れは3つに分けて3軒の小作人に貸せるぐらいの土地です。
でもアイヌの人は何も実らない荒れ地をよこしたと言いました。
アイヌの人は秋の土を起こして置く事を知らなかったのです。
更に草取りもしません。
種を植えても痩せた野菜しか実らないのは当然です。
それで貸して欲しいと言って来た貧しい日本人に貸しました。
日本人は土を起こして種を飢え、草取りもしました。
良い作物が取れました。
アイヌの人に地代を払いました。
アイヌのおじいさんは私達の神と同じ神だと言いました。
神道の神です。
日本の神話とアイヌの神話と沖縄の神話はおおむね似ているけど、名前が違う。
神道の神とアイヌの神は神棚と言い、ほぼ同じにです。
八百万の神と言いながら唯一の神としている所も同じです。
自然崇拝も似ています。
詰り此の3つは酷似しているのに、場所によって違うのです。
3つとも伝承で伝わっているので、その地方地方の都合の良い様に人から人へと伝わったのでしょう。
アイヌのおじいさんは自分達の方が正しいと言っていて、
同じ神様だと言いましたけど。
私は外国人に旧ユダヤ教と教えて貰いました。
日本の訳の分からない言葉も、「どっこいしょ」「ヤーレン、ソーランソーラン」も、
意味が解るそうです。
旧ヘブライ語で「ヤーレン·ソーラン」はヘブライ語で「エホバわれに応えたまえり、注目せよ」という意味
と言う説もあり、他に↓こんなのがあります。
http://coolway.air-nifty.com/unicorn/2006/12/post_8f24.html
みみやん
2012/05/02 21:33:49
こんばんは。
初め聞くはなしです!
アイヌの人のなかにもじぬしがいたんですね。
私が子供の頃に農地法を学校で教わったときはとても素晴らしい改革だったと教わりました。
社会主義が広まっていた頃ですし、学校の教師はほとんどが日教祖に入っていたのだから、仕方がなかったのでしょう
ところで話は変わりますが、アイヌはゆう唯一神を信仰しているとのことですが、
それはもしかしたら、原始キリスト教かあるいは東方キリスト教とよばれたものではなかったのでしょうか?
のたもた
2012/04/01 12:35:13
ジョシィー 様、 明治前の江戸幕府はアイヌに対して酷い事を明治政府に成る前にしていました。
其れは北海道の地図をアイヌの人の案内で幕府に雇われて作った人が、
案内をしてくれたアイヌの人の訴えを聞いて、改善する様に言ったが聞いて貰えなかった。
アイヌの地名が多いのは其の人がアイヌの人の案内で此処は何と言う場所かと聞いて記したからです。
其れは其の人の旅のメモと日記が現存しています。
あの伊勢に娘と行く途中に北海道にゆかりのある人と言うので尋ねました。
幕府が許可をしなかった、アイヌの人達が訴えた酷い事をされていると言う実態を書いた本を
明治政府は許可をして、出版させてます。
アイヌのおじいさんは当時、食べて行かれない此の地を去りたいと言う若者の言い分と
もう抑えきれない老人が言う伝承を貧しくても守って行きたいと言う思いで苦しんで
いたのを子供の私に伝えたのでしょう。
神の教えと伝承を守って何とか、狩猟禁止、鮭も取れなくなった。
山菜だけでナイフで木彫りの お土産で、神の伝承を守ってこの地にとどまる。
神話を言って、神棚を見せて、神の天罰を教えて、伝承を守る事の大切さを
「何故?」「どうして?」と聞く子供に丁寧に教えたのでしょう。
聞いてくれる子供に老人の言う事を聞かなくなったアイヌの人達の愚痴を
こぼしたのでしょう。
神様の言うとおりに生きるのなら、自然の恵みの中にシカや熊の狩猟も入ってますし。
川を上ってくる鮭を含めた色々な魚も居ます。
山菜も冬の間の漬物の様な物もあるかもしれません。
それで十分、食べて行けたのです。
でも、戦後に自分で耕していない土地は、耕している小作人の物になりました。
アイヌは狩猟禁止の代わりに与えられた、3軒に貸せる位の大きな土地をそれぞれ失いました。
全部貸している人が多かったのか、少し残して、
見よう見まねで教えて貰って畑を自分でしていたアイヌの人は助かりました。
でも、地主になっていた人は路頭に迷ったのです。
戦争で父も兄も働き手が無くなり、老婆と若い妻が幼い子供を背負いながら 家の周りを何とか耕した
土地だけがシベリア抑留から帰ってくると残って無かったと言うのはあっちこっちに在ります。
日本人も其の法律の犠牲者です。
ジョシィー
2012/04/01 03:14:32
昔は、そう云うお話をしてくれる老人が居たのですよね・・・
もっといろいろと聞いておけば良かったと、今更ながらに思います。