お涼の神社の使いのコーデ。(絵無し)其の10
14歳ですでに忍者としての修業の第一段階は済んでいる。
兄弟子の忍者が遠くからついて来ていたが、
神社の使いとして、普通に関所を通って、京まで行っていた。
勿論3人~5人の修験者も交えた集団だが、
一応一番大切な表向きの書は、彼女が持って居た。
本来の密書は別の人が持って居たが、
彼女は言わば、おとりの役目のそれなりの身分の高い方の
神社の使いを演じていた。
関所でも、特別な部屋に通されて、菓子や茶などがふるまれる時もあった。
あどけなく、「◎▽□・・・・でごじゃる」と言って、食べていた。
その間に、彼女の持って居た書簡を関所の一番偉い人は
書き写すのであるが、
大抵は「◎◎の儀が執り行われるにあたって、◎◎の代役を
立てて欲しいが、◎◎の事情があるので、内密に◎◎を
奉納して、つつがなく執り行う為に、◎◎をしておいたので
其れを踏まえて、◎◎に礼状を送って置くように。」と
儀式に関しての何かを内密に手配して置いたとの
良く在る様な内密の手紙だが。
其れなりに、人を立てて運ばなければならない書状になって居た。
本来の書状は別の所から、別の所に別の人が持って居るのだが、
表向きの形は彼女が神社間の内密な重要な書簡を運んでいると
言う構図で在る。
実際はどこの城の補修の時に入った大工が持って来た平面図を
何処かの城の誰かに渡すと言う事だったりする。
神社や寺が深く協力しているのは、最初の頃は京の色々な立場が色濃く
在ったと言う事で、在ろう。
其の後戦国大名が、画一されて行くにつれて、京の影響は薄れて行くのだが、
それでも、豊臣秀吉が京より関白を賜ったりするのは、
其れによって、天下を統一したと言う事に成るからである。
徳川家のあくまでも征夷大将軍であり、軍人で在る。
王では無いのである。
戦国時代の最初の頃は地頭大名で在ったり、荘園の大名も在ったりと
色々な大名が色々な大きさの領地を持って淘汰して行くのだが、
其の間を京の中でも色々な確執が合って、動いていたと思われる。
のたもた
2012/04/02 14:56:05
レイダ様
『生まれたら「へその緒」を小船に乗せて海へ流したり(なので私のはありません)』
此れは知りませんでした。
アイヌの伝承に在る「神を否定した人間の血を混ぜる事を禁忌」とされて居た事に
関係が在るのでしょうか?そうすると「神を裏切る行為をするそうです」
此の国を没しようとか、乗っ取ろうとか、色々な事に加担するとか、
詳しい事は子供時代にアイヌのおじいさんから聞いた事なので解りません。
明治前のアイヌの人達は数千年も伝承を繰り返して来てますから
御爺さんが言うには、御爺さんの言った神話の方がもともとの神話に近いそうです。
おそらく旧ヘブライ語に近いのでしょう。
日本の神話の意味が解らない所も、日本語にこじつけている所も、旧ヘブライ語の研究家には
解るそうで、世界ですっかり知れ渡っています。
日本では、戦後の教科書にもは、神話は載らなくなりましたけどね。
平家が福原に遷都して、民?かどこかと何をしようとしていたのかは解りませんが、
多くの人達がそれに対して立ち上がった様です。
そして、それは日本に取って未だに許されない事なのかも知れません。
貴方はうまれた時に蒙古班が在ったのでしょうか?
其れをいとおしく、良し良しとおじいさん、おばあさんが、なでて、「日本男児誕生」として、めでたいめでたいと
していた光景を産院で見ていた記憶があります。
よそのおじいちゃん、おばあちゃんがちらりとおむつをはぐって見ているのも見ています。
何故、年寄りはそれに拘るのかと思ってました。
戦後、神話も教科書に乗せなくなった国ですから、其れを知って居る年寄りは胸を痛めていたのでしょう。
へその緒を海に流さなければならない程、許されないのでしょう。
そして、別に恩賞とは関係なく、民衆が平家の落人狩りを厳しくしたと言います。
村にその血を入れる事を恐れたと言います。
寺社を含めた、そして鎌倉幕府のプルバガンダだけにしては、
民衆は其処までついて行くでしょうか?
アイヌのおじいさんが伝承を恐れた様な、伝承が昔の日本にも在ったのかも知れません。
そして、其の伝承に触れたと伝わったのかも知れません。
沖縄にも、気を付けなさいと言う伝承が在るようです。
のたもた
2012/04/02 13:38:04
レイダ様
平家の名前では無いのは、もしかしたら、一般民衆の人達の平家への落人狩りが厳しかったからかも
知れません。
琵琶法師の平家物語も私は最初の言葉の辺りしか知りませんが、
内容は「驕る平家の久しからず」と言うか「分をわきまえず、傲慢な奴は酷い報いが来る」との教えと聞いております。
琵琶を使った語り部を使って全国を回って、
酷い事をした報いを受けなければならないとか、
報いを受けたと言う説得して回ったのかのかもしれません。
其の後の日本の歴史はあくまでも軍事クーデターで軍部が政治を支配する。
天皇が認めると言うやり方を取ってます。
源の義経の絵本でしか見てませんが、
「三種の神器」を平家が海に沈めた時に多くの源氏の侍が海飛び込んで探してます。
この辺りは、壇ノ浦辺りで色々な事が在ったのか、検証されてますが、色々です。
刀だけが見つからなかったと言うのと、もともとそれは儀式用の偽物だったと言う説もあり、
本当の所は解りません。
簡単に言うとあくまでも、平家は天下を取ったとたんと言うか過程でも粛清を始めます。
其れは身分の高い人達まで、天皇家を無視して独断でやって、恐怖と驚きを日本中に感じさせます。
平家と源家はもともとは武士(侍)だったのが、平家は身をわきまえない悪行と言うか、入り込んで
天皇家と言うか貴族と言うか、多くの地方と京の人達も含めて、粛清をして、無謀と怒りをかいますが、
安徳天皇が生まれて(天皇の親戚関係)に成ると、粛清はもっとひどくなります。
地方と京と「民衆」の怒りが収まらず、京に入れなくなった平家達は「福原」に遷都して、
其処に京を作ろうとしますが、天皇家、武士、「民衆の心」を得られず、天皇家の命を
受けた源氏によって滅ぼされます。
「驕る平家」とは独断で多くの驚くべき身分の高い人達を粛清した事なのかも知れませんし、
更に、細かく分け与えていた民?中国?朝鮮?との、貿易を益を独占しようと、
彼らと結託したりとします。
その前はどこかが特に力をつけない様に色々と分散させて更に其れを見晴らせる役人も
行かせて、貿易をおこなっていたようです。
壇の浦の闘いは平家に便乗して利益を得ようとした者も居るし、色々だった様な
諸説沢山あります。
レイダ
2012/04/01 03:41:36
このコーデは先ほどと違って「可愛らしく」みえます
お涼ちゃん14歳・・・
書簡は中身をチェックされるわけですね
やはり城の設計図は重要
前記事で「平家」が出てきましたが
私の生まれた島は、長崎県の五島列島の宇久島といいまして
別名「平」という島です
壇ノ浦から逃げてきた平家が船を隠した「船隠し」など色々なものが残っております
当然「平」姓はおりませんが・・
生まれたら「へその緒」を小船に乗せて海へ流したり(なので私のはありません)
以前付き合ってた彼女が兵庫県で、そのおばあちゃんが毎回見せにくる巻物には
「源氏の子孫」のようなことが書かれていました
源氏と平家・・この因縁で別れたのかなあ^^