「クイナ、です」
作家の大江健三郎氏には、障害者の息子がいて、
この子は小さい時、一言も言葉を喋りませんでした。
言葉を喋らないだけでなく、母親が話しかけても、少しも反応を示さないのです。
そのころ、氏の家には一枚の「鳥の声」のレコードがありました。
たとえばヒヨドリの鳴き声がしばらく聞こえた後、アナウンサーが
「ヒヨドリです」と、鳥の名前を言う、そういうレコードです。
息子さんはそのレコードにだけは反応を示しました。
そこで、夫婦は朝から晩までこの鳥の声のレコードをかけ続けました。
全く言葉を喋らないまま、鳥の声のレコードを聴き続けて6歳になったその夏、
氏は息子を連れて、高原の別荘に行きました。
ある朝、息子を肩車しながら林の中を歩いていると、クイナが鳴きました。
クイナが「トントン」と鳴いたのです。
すると、頭の上から「クイナ、です」という声がしたのです。
氏は最初、何が起こったのかわからなかった。
息子がしゃべるはずはない、これは幻聴だと思ったのです。
でも、もしかしたら息子がしゃべったのかも知れない。
もう一度クイナが鳴いてくれないか。
もう一度クイナが鳴いて、もう一度息子の声が聞こえたら、
もしかしたら息子は人間の言葉をしゃべりはじめるのかもしれない。
氏は待ちました。
目の前に若いダケカンバの樹が、日を浴びて風に揺れている。
それを見つめながら待ちました。
その時のことをこう述懷しています。
「私は祈っていたのだと思います。
私はカソリックを信じません。
プロテスタントを信じません。
仏教を信じません。
しかし、そのような信仰のない私も、まぎれもなく祈っていたのです。
やがてクイナが鳴きました。
そして、私は、頭の上で、息子の澄んだ声がはっきりいうのを聞きました。
『クイナ、です』」
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私の大学時代の入学式でのスピーチで、壇上に立った理事長は、この大江健三郎氏(とその息子、音楽家の大江光氏)のエピソードを披露しました。
コツコツとした学びが人生を芽吹かせることを願う祈り。
その祈りをもって、先生方は学問を教授しているのだということを忘れないでほしい。
そして深く学んだ学生は、今度は教える側として、祈りとともに歩んでほしい。
そんなスピーチだったと記憶しています。
わけあって大学生活も長く、また教える側にまわったこともありましたが、
「学んで人が変わっていく瞬間」を何度も目にしてきましたし、
その時には、心の中でこのスピーチを噛み締めたものです。
入学式シーズン、学生さんは沢山のスピーチを聞くことになると思いますが、
その中に、心にひびく言葉が見つかることを祈ってます。
*そして先生方は、手を抜かず、ビシッとキメたスピーチをしてほしいものです(笑)