うみきょんの どこにもあってここにいない

うみきょん

日々のはざまについて、
地上でみた夢の記憶、
地中で見られた眠りのすきま、
絵画や小説、想像世界、花たちなどについて
静かに渡りを記述しています。

そして桜は

日記

 4月13日。この日は、駅のほうまでゆく用があったから、また桜並木のある仙川を通ろうと思えば通れた。だけれど、前日に桜ともう別れをかわしてしまったように感じがして、気のりがしなかった。仙川沿いの道は、遠回りであったり、どぶ臭いこともあり、実は桜の時期しか通らないのだ。
 すぐ近くの野川沿いの公園はそれでなくとも好きな公園なので、そちらはうきうきと通る。葉桜になっている。花びらが舞う。地面には踏まれ、雨にぬれ、泥をかぶった花びらたちが満開だ。用水路に蜘蛛の巣が橋のようにかかっていた。花びらがその上に載っている。
 不思議なことに、この日は、桜がよそよそしくなかった(昨日はそうか、よそよそしいとも思っていたのか)。思ったとおりでは、いつもない。花びらが舞う。桜は舞うことでさよならをつげてくれているようだと思った。脱皮がだいぶ済んだ桜たち。彼らは昨日はそれで忙しかったのだろうか。紫陽花の新芽がやわらかい色で、葉桜になった桜となにかを交代するように、芽吹きだした。
 駅からの帰り道、仙川を通ったが、現実のほうで少し気にかかることがあり、彼らとはあまり…。
 家の近所のお寺の見事な桜は、ほぼ満開だった。ようやく花びらが散り始めて。彼をうっとりと見上げる。別れをうけとるように、静かに。また来年も桜に恋をするから。

 4月14日は大切な友人の結婚式だった。教会から桜がみえる。雨にぬれてしっとりとした葉桜だった。