萌創記

萌☆もっこす

萌創記<×妄想記>(笑)
できる限り日々の出来事をtwittしていきたいと思います。

おとなになる瞬間<とき>

日記

いつ、どうしたらそうなれるのか?

合法的に、酒やたばこを手にできるようになったときか?
繁殖行為の結果、遺伝子を次の世代へ渡したときか?
あるいは「もう、おとななんだから」とか「おとなになった」などと他者に言われたときだろうか?

そもそも「おとな」とは、何か?
その定義はなんなのか?
その条件とはいかなるものか?
そして、それは自覚できるものなのか?

肉体的なものか?
精神的なものか?

時満とも我知るまじ。


#日記広場:日記

  • つつじ

    つつじ

    2013/09/02 00:18:47

    大人の定義、面白いですね。
    星の数、人間の数だけ答えがあるのでしょう。
    ちょっとずつ違う答えを見るだけでも興味深いですね。

  • カトリーヌ

    カトリーヌ

    2012/05/22 23:04:24

    男の人は、永遠に少年かも・・。

  • 萌☆もっこす

    萌☆もっこす

    2012/05/18 21:06:25

    >シエルさん。

    コメントありがとうございます。

    言われてみれば、そんな気もします。
    結局、その瞬間てやつはその時はわからなくて、後になってから、別の情報統合アプローチでふと気づかされるものが多い気がします。

    「こころが痛い」としかいえない痛み、というものがどんなものかは分からないけえれど、

    あの時の私ならば、そうは思わなかっただろう、とか。
    世界の理不尽さに落胆するとか、
    理想と現実は違うんだと実感するとか、
    きっかけは、人それぞれ、ここの数だけ無数に存在し、

    しかしそれは、大げさに言うよりも、極めてあいまいで、いい加減な思いすごしなのかもしれないとも。

    調和とか、協調だとか、妥協だとか社会におけるふるまいの形容が、それを明確に定義することはなく、虚像を残しているだけなのかもしれません。
    結局それは、自己言及における自我の段階的評価として、存在しているだけなのかもしれません。
    あるいは、理想的形容としてw

    なれるのか/なるのか
    なったのか/なれたのか

    きっと、思ったよりも急激な変化なんてなくて、
    ふと、なあんだ、って思うだけの。

  • シエル

    シエル

    2012/05/18 11:42:21

    長田弘さんの散文詩「あのときかもしれない」より。
     
    「そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。きみがきみの人生で、「こころが痛い」としかいえない痛みを、はじめて自分に知ったとき。」