☆三国志
董卓の横暴はエスカレートするばかりで、何皇后を毒殺するに至ります。さらには、平然と「相国」という役職を名乗り、独裁体制を固めていきます。
しかし、さすがにこのことは周囲の反感を買い、とうとう董卓の暗殺が計画されるに至ります。まず、伍孚が暗殺計画を企てるのですが失敗に終わり、このことで董卓は守りを固めることになってしまいました。次に立ち上がったのが、曹操です。(ここからが三国志の見せ場になってきます)曹操は董卓に容易に近づける立場のものであり、董卓も安心していたわけですが、今一歩のところで見破られてしまいます。そして、城外に逃げ出し、一旦は捕まるものの、陳宮に助けられ、その後、全国の武将に呼びかけ一斉蜂起をします。ここで、オールスター勢ぞろいとなり、なんと17人の武将が立ち上がったといいます。この時、劉備は関羽、張飛と共に北平の太守・公孫サンの配下として参戦しています。
さて、反董卓軍はシスイカンに陣取ります。その数はなんと20万もあったと言います。ここで、まず口火を切ったのが孫堅でした。しかし、あろうことか味方であるはずの袁術が兵糧を送ることを止めてしまい、孫堅は敗走することになります。その後、董卓軍の華雄に手を焼いていたところ、関羽が立ち上がり、あっという間に華雄を討ち取ったという話しになっていますが、これは後の作り話です。
実は、ここで活躍したのは孫堅でした。また、董卓は孫堅と和議を結ぼうとしていましたが、孫堅はきっぱりと断っています。
その後、近くの虎牢関でも激しい戦闘が繰り広げられます。ここで、登場してくるのが呂布です。この呂布は董卓に買収されていたのですが、董卓にとっては最も頼もしい味方でした。その戦いたるやすさまじいもので、反董卓軍は相当やられていましたが、まず張飛が出てきます。呂布と一騎打ちになり、そこに関羽が出てきて、最後には劉備が出てきたので、さすがの呂布も虎牢関に逃げ込みます。その後の反董卓軍の攻撃も力及ばす虎牢関は落とせませんでした。
そして、そのことを知ると董卓は洛陽の財宝をかき集め、火を放ちました(歴史上、類を見ない極悪人ですね)。そして、献帝を引き連れ長安へ移動します。つまり、都は長安へと遷都したわけです。
king
2012/05/18 22:46:28
漢字がいっぱいです・・・><
読破する気力が今日はないのでまたの機会に・・・^^;