コウモリ
夕方というより、夜、岸辺で蝙蝠が飛ぶのをみる。蝙蝠をみるとなぜか心がさわぐ。夜のなかで飛ぶ生き物だからかもしれない。鳥でも獣でもない…、イソップだったかの寓話を思い出す。どちらでもありどちらでもないものとして、嫌われてしまう。いや、嫌われるようなことを蝙蝠がした、というのが物語の筋だったけれど。はざまにいるそんな蝙蝠がどうにもきにかかった。境目ということば、そこにあることに、いやおうなくひかれるから。夜にとぶ鳥としての姿が、そして鳥とちがう飛び方が、どこかにつれていってくれる…。小さい頃、蝙蝠が家のひさしに巣をつくっていたような気がする。というか、親がそんなことをいっていたのだ。夜になると、家のまわりをとびかう蝙蝠…。そんな小さい頃の映像が蘇った。そして、街の灯がすきだったこと。外から、あるいていてだったか、どこかの家の窓にともったあかりを見る。それはいつも黄色いかんじだ。わたしはそのあかりにぬくもりをかんじたものだった。まるでとおくにありておもう、ふるさとのように。こんなふうに蝙蝠はわたしにいろんなことを教えてくれる、思い出させてくれるのだった。