どこにもあってここにいない 2
「私は夢を見ているような気がした。それが現実の町ではなくって、幻燈の幕に映った、影絵の町のように思われた。だがその瞬間に、私の記憶と常識が回復した。気が付いて見れば、それは私のよく知っている、近所の詰まらない、ありふれた郊外の町なのである」
(萩原朔太郎『猫町』)。
町を歩きまわる仕事もはじめた。
暑い陽ざかりに町を歩く。
現実に幻想がまじってゆく。
朦朧としたのは暑さのせいではない。
地図を見ながら歩く。
忽然と現れる、いつも楽しみにしていた猫屋敷。
嘘をつく地図。
隣同士なのに、違う道からしか辿りつけない二つ並んだ家。
隣同士なのに、私道が書かれていないからか、
実際は、片方の家の玄関は、ずっと奥に
はいったところにしかない。
ひとつには、
地図と現実の町のずれが、幻想を帯びるのかもしれない。
そして、仕事の途中という現実(日常)と並行して、
散歩の行き帰り、休みという非日常的な場で、
出逢ってきた様々なものたちに出会う、
たとえば、前を通ると必ず猫が何匹か見れる猫屋敷、
だいすきな田んぼのある公園、
今の季節なら、モジズリの原っぱ、
牛ガエルの鳴き声、
そうした、わたしにとっての幻想にちかしいものたちが、
現実にかさなってゆく、
そのことでも、町が幻想を帯びているのだった。
ご苦労様ですと挨拶をする幼児。
二階の窓から、わたしをみかけて、鳴き出す猫。
別の様々な様相を帯びる町。
うみきょん
2012/07/01 22:59:50
ヒガシさん、早速ご訪問くださり、コメントありがとうございます。
「月に吠える」お読みになられたとは、うれしいです。
あの病んだような青いうごめきが、いいですねえ。
ヒガシ
2012/07/01 21:00:34
萩原朔太郎ですか。「月に吠える」もいいですね。
昔、チョッと読みました。