花と亡父はいつも傍に
外を歩く仕事。
道路から玄関まで、細い路地の両脇に様々な植物たちのある家。
小さい頃を思い出す。
家と隣の家の間に、細い路地のような庭。
両脇に山野草の鉢植えのびっしり。
亡父が好きで丹念に育てていたのだ。
あの頃はなぜ、そのことに感動しなかったのか。
多分当たり前の温もりとして、花たちがいつも傍に、
父のようにいてくれたから、だと、ぼんやりと思う。
では、今、植物たちにあうたびに、なにかしら
もらうのは、何故なのだろう。
わたしが覚えている植物の名前は、ほとんど
父が好きだったから、父が育てていたか、
一緒に図鑑などで、覚えたものばかり。
それだから、ばかりではないだろう。
それでは、植物たちに失礼だ。
植物たちは、いつも近くで、あちこちにある。
そのことを、
どこかで温もりとして、ありがたく思っているのは…。
いや、温もりはいつでも、僥倖なのだ、
そのことに気づいたからかもしれないし、
わからない。
単純に、花たちがうれしいだけなのかもしれない。