うみきょんの どこにもあってここにいない

うみきょん

日々のはざまについて、
地上でみた夢の記憶、
地中で見られた眠りのすきま、
絵画や小説、想像世界、花たちなどについて
静かに渡りを記述しています。

花と亡父はいつも傍に

日記

外を歩く仕事。
道路から玄関まで、細い路地の両脇に様々な植物たちのある家。
小さい頃を思い出す。
家と隣の家の間に、細い路地のような庭。
両脇に山野草の鉢植えのびっしり。
亡父が好きで丹念に育てていたのだ。
あの頃はなぜ、そのことに感動しなかったのか。
多分当たり前の温もりとして、花たちがいつも傍に、
父のようにいてくれたから、だと、ぼんやりと思う。

では、今、植物たちにあうたびに、なにかしら
もらうのは、何故なのだろう。
わたしが覚えている植物の名前は、ほとんど
父が好きだったから、父が育てていたか、
一緒に図鑑などで、覚えたものばかり。
それだから、ばかりではないだろう。
それでは、植物たちに失礼だ。

植物たちは、いつも近くで、あちこちにある。
そのことを、
どこかで温もりとして、ありがたく思っているのは…。
いや、温もりはいつでも、僥倖なのだ、
そのことに気づいたからかもしれないし、
わからない。
単純に、花たちがうれしいだけなのかもしれない。