☆源頼朝暗殺説
1185年に頼朝は鎌倉幕府を開いたことは有名ですが、その後のことに関してはあまり語られることは少ないようです。
頼朝のその後に関しての記録が著しく少なく、一般には落馬したことが原因で数ヶ月後に死去したとされていますが、どうも怪しいとよく言われています。
そのため、頼朝の死は暗殺であるという説がよく言われるところですが、実際はどうだったのでしょうか?
頼朝は武術に優れていたと考えられるというのは、もっともな意見です。それゆえ、落馬は不自然と考えるのが妥当と思われますし、原因が定かなものであれば史書に残るという考えももっともなところです。
また、頼朝の子・頼家は後を継いだというのも建前で、ご存知のように実権は母・北条政子の父・北条時政が掌握しています。これも怪しいといえば、確かに言えることです。
そして、家来の比企、梶原も怪しいという説もありますが、これはほぼ白と考えた方がいいようです。(個人的意見です)
では、やはり北条政子が黒幕なのでしょうか?
源氏政権はたったの三代だったのは事実です。諸説紛々のうえに、史料としての「吾妻鏡」も書き換えられたという説もあるくらいで、事実は今のところ謎のままです。
真実はどうなっているのでしょうね?
睦月
2012/10/20 23:16:28
タイムマシンが欲しくなりますね。
でも、 なんでもかんでも真実が分かったら、それはそれでつまらないかもしれません。
蘭
2012/10/20 06:53:01
おはようございます^^
いや~これは気になりますね~