☆三国志
前回の続きですが、曹操は本腰を入れて攻めてきました。迎え撃つ劉備軍の軍師孔明は新野城で火攻めにし、逃げる敵を白河の水を浴びせて水死させる作戦にでました。たしかに天才軍師の作戦ですから、首尾よく成功はしたのですが、なにせ大軍が相手です。結果は焼け石に水で終わってしまうわけです。そして、劉備は逃げてきた民衆と合流せざるを得なくなり、江陵を目指すことになりました。
しかし、一般の民衆を抱えた状態ですから思うように進むことができず、とうとう曹操軍に追いつかれてしまいます。ここからが「長阪の戦」です。
また、劉備軍はあっという間に劣勢に陥ることになり、劉備自身も家族と離れてしまうことになりました。しかし、趙雲は劉備の家族を助けるため単独で斬り込みますが、糜夫人は足手まといになることを恐れ井戸に身を投げてしまいます。それでも趙雲阿斗(後の劉禅)を抱えて脱出しました。この姿を目の当たりにした曹操は感心し、矢を射かけることを禁じたといいます。
さらに、張飛は長阪橋で立ちはだかり、追っ手を睨みつけその気迫で追っ手を食い止めたといいます。このようなことがあり劉備は江夏へ逃げ延びることができました。
gokui
2012/11/26 00:29:59
この時関羽はいったいどこにいたのでしょうかね。謎です。
りんご
2012/11/25 16:23:25
へぇ~