ウイルス戦争 神は死んだ

妖刀 さゆき

merchu(メルチュ)

RPGツクールはキャラが少ない

ゲーム

昔RPGツクールでゲームを作っていると、決まってキャラ不足になりました。
シナリオを考えていても複数のキャラが必要なのに、使える種類に限りがあるから同じ顔のキャラを使い回しになります。
それならば新しいキャラを作ればいいのですが、顔のアップだけならともかく歩行するキャラを作るのはかなり時間がかかります。
私は学生の時にゲームを作るなら素材的なものは、他所から持ってこないと制作時間がかかりすぎる、という教訓を得ました。
作ったゲームを売って金儲けでもしない限り、素材は他所から調達すべきです。
というわけで歩行キャラはRPGツクールの古いデータを横流しして作りました。
データの規格が違うので、ちょっと困るのですが使えるキャラクターの数が数倍になります。
マップのデータも他のツクール作品から持ってくれば色んな世界観の背景を使えます。
BGMや顔のアップ画像はツクール以外のゲームからも流用します。
こうして幅広い素材を集めてやっとRPGを作れるようになります。
それだけ初期のデータが貧弱なんですね。
子供に遊ばせるゲームなら一本道のシナリオは避けるべきでした。
話の筋として一本道なら作りやすいのですが、どこかで詰まったら先に進めないのでは面白くない、というわけです。
それで私は色んな小さい話を街のアチコチに仕掛けたりします。
キャラと話したりアイテムを得る事で、それぞれ話は進み小さなイベントが終わる。
そんなことを繰り返しながら、最後にボスを倒して終わりーという感じに作ります。
魔界、人間界、天界、などを冒険し小難しい真理に到達するように作ったり。
キャラを配置して話を作っていると、 神 を配置できないという問題に突き当たります。
天使はいても神の風貌をしたキャラがいませんし、いろんな映像作品でも 神 は話の上で出てくるだけで映像としては出てきません。
http://www.luv-session.net/heriotowal/image-l/mi-adamu.jpg
ミケランジェロは神をヒゲをはやした オジサン として描きました。

http://hhana.blog.ocn.ne.jp/world/images/p1010615_1.jpg
ギリシャの神は上半身 裸。

一般的にはイエスに後光が当たった感じが神の映像として使われます。
神がゲーム中に使えないなら、天使に代弁させるとして魔王との対決を最後に持ってくれば、話としてはまとまります。
イエスは現世の救済を目的に布教していたように思いますが、主人公の目標をうっかり「世界の救済」などにすると話が作りにくくなります。
主人公は常に正しく生きねばならず、世界は悪い人間ばかりなので罠に落ちたり、困っている人を助けてばかりの話になります。
真の正義とは、人類の救済とは などとテーマはどんどん難しくなり遊んでいる子供は途中で飽きてゲームを放り出すのです。

それならば主人公が悪魔で、人間界の悪を探し求め最後に究極の悪に辿り着く、という風に作った方が面白い。
主役が悪魔なので、いろんな街で悪いことばっかりやりながら旅をしていくという世紀末モードで話が進みます。
究極の悪とは何かにたどり着いた時、はっきりとした答えが出ない。
結論のないまま重い音楽が鳴ってスタッフロールで終わります。

RPGツクールも何本も作っていると、だんだんやる事がなくなって飽きてきますね。