初めに言葉ありき。------ジョン

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行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。

くりすます

日記

 キリスト教の預言者ジーザスクライストが生まれた日を祝っているのだと知って以来、この日を祝うことにものすごい違和感を感じるようになりました。
 仏教でさえ信じてはおりませんが、ゴータマシッタルーダの誕生日をこんな風に祝う人はいないでしょう。
 私は小さくなって(元来ちびです。)怯えるようにこの日を過ごします。

  • よしべえ

    よしべえ

    2012/12/24 14:26:23

    そんなに怯えなくても(笑)
    私はカトリック信者です(ギョーッでしょ)

    さまざまな文献から、この日がキリストの誕生日ではないことや、
    西暦はキリスト誕生からカウントされて、来年2013年ですが、
    実際はもっと早く生まれていたこと、妻帯者であった可能性など、
    現代の科学でわかりつつある事が知らされています。

    世界中がクリスマスを祝う大事な意味は「人類の平和、世界の平和」なのです。
    たまたまキリストが象徴となってますが、誰でもいいように思います。
    起源前の世界は、人の命を軽んじて残虐と独裁がはびこる世界だったところへ、
    キリストが人権(人命)尊重の思想を自らの命に変えて、後世に伝えたことが、
    歴史上の人物であり、宗教になっています。
    キリスト教にもいろいろありますが(省略)

    四世紀頃、東ローマの聖職者ニコラオスが貧しい家に、靴下に金貨を入れて屋根に
    投げて施しをしていた事や、無実の罪の人を救った功績により、後に聖人となり、
    セントニコラウス→サンタクロースの存在が今日に至ります。

    実は、カトリック信者にとっては、クリスマスよりも、
    イースター(キリストが処刑された日)の方が大事な日なのです。
    キリストの死の意味を受け止めて、日々の生活に生かしていく(汗…)
    私は敬虔な信者ではないので。

    ローマのバチカンでは、常に世界の宗教の人達を招いて、平和への祈りが行われています。
    なので、総持寺さんではお坊様に出会うと合掌するし、お堂で手をあわせて祈ります。
    「おまえは邪道だ」と言う声は聞こえないので、信仰は異なっても、
    死者を敬ったり、誕生を喜んだり、平和を願ったりに宗教の隔たりなんて無いと勝ってに思ってます。

    長くなりました。
    ひろしさんに、ステキなクリスマスが訪れますように祈ります