毎年恒例の
そして、初売りに引き続き毎年恒例の親戚の家でやる新年会へも行ってきました。
正直、身体がしんどくて行きたくない気持ちもありましたが
お盆も行けなかったしね…という事で(´・ω・`)
美味しいお寿司とか伯父さんお手製のご馳走とか
いっぱい食べさせてもらえるからそれはそれで嬉しい…けど、
年々従兄弟達の参加率が落ちて来ていて正直来年はないかな…という気にもなってます。
今年はくりすの他は、主催してくれてる家の次男と従姉妹の旦那さん位しか来なかったよ。
従姉妹は旦那さんが帰った後に一瞬だけ顔出したけど上がりもせずそのまま帰宅。
何か普通に来てる自分の方が異端だよね。
あと、祖母が生きてる頃は泊まる家があったけど
祖母が亡くなって、生前住んでいた家がもう人が真冬に泊まれる状態じゃなくなってしまい
結局親戚の家に泊まらないといけないってのもね…。
快く泊めてくれて有難いけれど、何となく気が引ける。
まして、親世代はまだしも子供世代が他に誰も来てない状態だとね。
自分が結婚して子供産んでその子を連れて~とかなら
また別の意味で行く理由あるだろうけど
今となっては行く理由を見失いつつあります。
…というかさ、今となっては新年会に必ず参加ってのを義務付けられていて
それに従いすぎていて婚期逃したって気もしなくもないんだけど、どうよ?(ぇ
いや、新年会蹴ってまで会いに行くような魅力的な男が居なかった
とも言えるけどさw
くりす
2013/01/21 19:31:53
>しゅぽぽ様
確かに最近では冠婚葬祭でもないと
なかなか親族一同が集まって会食なんて機会は少なくなりましたね。
今でこそ参加者が少なくなって寂しいものになってしまいましたが
くりすや姉、そして従兄弟たちがまだ小学生位の頃は
親戚のおばさんが買って来て家中に隠した子供用の福袋を
宝探し形式で探す、というイベントまで用意してくれていてすごく楽しかったのです。
祖父母の家でも暮れから新年に掛けて、
床の間に鏡餅を飾り、お神酒を用意しお正月の準備をして
今となっては昨日と今日でしかない大晦日と元旦も
古い年と新しい年の区切りがとてもハッキリと区切られて明けてみると別世界でしたね。
実際の所、結婚相手を新年会に連れてきていた従姉妹が内心すごく羨ましいなぁと思ったこともありますね。
多分そこに来て自然と溶け込める人となら一生一緒に居れるんじゃないかという
漠然とした確信みたいなものは、自分の中に確かにあるんですよね。
だが、しかしそこに来てくれる相手はいないのが問題だ(´・ω・`)
しゅぽぽ
2013/01/04 21:49:13
くりすさんとこのように
御正月に 親族が集まる習慣がある・・・って、 今の時代、とっても素晴らしいことだと思う^^
羨ましく想います。
あたいが子供のころは、 そんなのは当たり前 と言っても過言ではないくらい普通のことだった。
母親の実家に行って、叔父叔母のとこの従姉妹たちと遊んだり、叔父さんにおどかされたり^^
あるいは、父の弟妹家族が遊びに来て そこの従姉妹たちと遊んだり・・・・
遊びの周りには たいてい多くの従姉妹や兄妹たちがいた。
そして今、あたい達の世代になって・・・
いわゆる戦後、米国の日本統治方針に基づいて定着してきたところの
個人主義、神道(文化・伝統)に対する不寛容・破壊、権利の乱用、などなどが原因とは云わないが
核家族化、うさぎ小屋などなどが
そうした親族の集まりを困難にしてきたことは、隠しようもない事実だ。
数ブログ前にも書いたが、
我が家では毎元旦にみんなが集まるようにしていた。
元旦の昼前、床の間に設置してある神棚に、当主のあたいが新年の誓いを述べて みんなでお参りし、
初めのころは子供たちに、この頃は孫たちに、お年玉をあげて、女房がつくったおせち料理などで会食
そのあと 初詣に行ったり、近くの公園などで遊んだりしていた。
この元旦に、我が家(普段は妻がひとりで住んでいる)に来たのは長女家族だけだった。
あたいは 実家でお袋の相手をする気にもなれず もっぱら独り酒で欠席
長男夫婦は、なぜか西の方に旅行で欠席
次女家族は、旦那、子供と風邪ぎみなって欠席
とは言っても、全員が集まって一泊するとなると、ちょい厳しい状況の存在を隠すことはできない。
くりすさんが新年会に参加することで婚期をのがしたと考えるよりも
めぼしい方をさそってみて、新年会に参加することに関心を示すおのこがいたら
それこそ家庭を大切にし、地域を大事にし、我が国の伝統・文化を取り戻すことのできる青年に違いない
ってのは、どうよ?
(^_^)/~~~~~