☆推古天皇と天照大神
仏教を公的に認めた用明天皇が崩御すると、蘇我氏は泊瀬部皇子を、物部氏は穴穂部皇子を担ぎ出し対立は激化していきます。そんな中、蘇我馬子は穴穂部皇子を暗殺し、泊瀬部皇子や厩戸皇子(後の聖徳太子)と共に物部守屋を攻め物部氏を滅ぼします。
その後、泊瀬部皇子を崇峻天皇として即位させ、裏で権力を牛耳る活動に出ます。そして、その崇峻天皇を暗殺すると今度は聖徳太子の伯母である額田部皇女を推古天皇に即位させます。
ところで、古事記は稗田阿礼が民話や神話・伝説を取材し大安万呂が編纂したことになっていますが、これができた時の天照大神は男神だったとする説があるそうです。つまり、時の最高権力者であった蘇我馬子は初の女帝である推古天皇を即位させたのですが、神話の中で女性の地位を高くすることで今までになかった女帝の権威付けを狙ったとする意見です。
これが事実であるとすれば、蘇我馬子は権力維持のため国の重要な文書を書き換えてしまうような大胆なことをしたことになるわけです。事実はどうなんでしょうね?
御青
2013/04/23 22:06:52
古事記、日本書紀はなかなか奥が深いですね^^。
まゆ
2013/04/23 08:07:36
わーロマンがありますね
子孫の山背大兄王子が一族で焼死 で法隆寺建立となる流れがあるので 自分は聖徳太子はいたと思いますw