マスコミのやったこと「朝日新聞」編その1の1
取り敢えず「朝日新聞、 捏造」でググって見た。
出てくること、出てくること。
取り敢えず、少しずつ載せる事に。
どんだけ此れで続くのかと言うよな量。
しかも読めば読むほど、卒倒しそうなほどに悪質。
なんで世界でこんな新聞が通用するのだろう?
こう言う新聞を何て言うのなかな・・・。
まずはこれから
===============
『事実でないことを記事にして伝え、
世の中を動かしてきた朝日新聞。
朝日新聞が作った捏造の歴史
◆ 1950.09.27 伊藤律のインタビューを捏造
「宝塚山中に伊藤律氏-本社記者が会見」、行方不明の共産党幹部とのインタビューを一面に掲載。
29日に記事を書いた長岡宏記者は「伊藤律氏との会見記事は、
私の仕組んだ全くの狂言でした」と弁明。この記事はその後の縮刷版から削除された。
◆ 1959-1985 北朝鮮礼賛キャンペーン
執拗な北朝鮮礼賛キャンペーンを展開。各記事の内容はこちら(日本財団図書館)
朝日新聞の入魂の連載記事とは裏腹に、実際には経済の発展はゼロに等しく、
その正体は粛清の嵐が吹き荒れる恐怖の独裁国家でしかなかった。
しかも保障された職と生活どころか、
明日の食事にさえ事欠く有様で、現在でも慢性的な食料不足と恐怖政治が続いている。
◆ 1967-70 中国政府当局が朝日新聞を除く全ての報道関係者を追放
文化大革命で狂乱状態にあった中国政府当局は、中国政府提灯記事以外の
記事を書くあらゆる報道関係者を「外国反動分子」と決めつけ中国から追放した。
1967.09 産経、毎日の記者が追放される
1967.10 読売記者が追放される
1968.06 日経記者鮫島特派員がスパイ容疑で逮捕・拘留される
1968.11 滞在期間が切れて帰国したNHK記者が入国不許可に
1970.09 共同通信特派員が追放される
北京に駐留している日本マスコミは朝日の記者のみとなった。
朝日は唯一の中国特派員をもつ立場を保持するため、
あらゆる中国政府当局の捏造加担とおべんちゃらを開始した。
◆ 1971.8.26-11.26 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載
「中国の旅」と題する「日本軍虐殺」捏造コラムを計31回連載。
著者は本多勝一氏。いわゆる「南京大虐殺」が知られるきっかけとなったものだが、
中国政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による
「日本軍の蛮行」に関する「証言」を丸写ししたものだった。
後年大量の嘘写真や捏造事例などが暴かれ、
本多氏自身も「証言」を丸写ししたものであることを認めている。
◆ 1975.4.19 残虐なポルポトを「アジア的優しさ」と報道
和田俊プノンペン特派員(後年、テレ朝「ニュースステーション」に
解説者として出演。故人)が、「カンボジア解放側 アジア的優しさを持つ」
「粛清の危険は薄い?」という見出しで記事を書いた。
当時中国共産党の支援を受けていたカンボジア解放軍のポルポトは、
アジア的な優しさどころか、カンボジアの全国民の1/6に相当する300万人以上の民衆を虐殺した。
◆ 1982.6.26 侵略進出書き替え誤報
朝日新聞を含め多くのマスコミが、高校教科書の「華北を侵略」という
記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。ところが、
その後、関係者の調査によりこれが全くの事実無根と判明。
約一ヵ月後中国政府から公式な抗議があり、
8月1日には、小川平二文相の訪中拒否を一方的に通告。
このため、同文相は、衆議院予算委員会で、
教科書の「訂正容認」と「日中戦争は侵略」との旨を発言するに至った。
また、8月23日には鈴木善幸首相が「記述変更」で決着の意向を示し、
8月26日には「日本は過去に於いて韓国・中国を含むアジアの国々に多大な損害を与えた」
(「侵略」との言葉は使用されていなかった)とする政府見解(宮澤喜一官房長官談話)を発表。
9月26日には首相自ら訪中して、この問題を中国側に迎合する形で処理しようとした。
そして、教科書を記述する際、近隣諸国に配慮するという旨の、
いわゆる「近隣諸国条項」はこのときの鈴木訪中で生まれたと言われている。
その後、1982年9月7日付け朝刊で侵略進出書き替え誤報の責任転嫁コラムを掲載
朝日は「読者と朝日新聞」というコーナーで読者の疑問に答える形で小さく
「侵略→進出今回はなし」などと記す。その中で、外交問題に発展したのは
検定制度を行う政府にあるかのような責任転化をした。
一方、産経新聞は誤報だと判明後、それを素直に認め大々的に謝罪し、
誤報の経路を綿密に読者に報告し、詫びた。
朝日はこの大誤報(捏造)事件について、今なお釈明も謝罪も行っていない。
ウィキペディア: 教科書誤報事件
◆ 1984.8.4 「南京大虐殺」を捏造
生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、
南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載。
これに対して、元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。
元兵士の懸命の調査により、1年4カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。
「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
それに対して朝日は1985/1/22、このような数行のおわび文を掲載した。
「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は
南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」。
全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。
「都城二十三連隊会」は更に朝日に対して不信感をつのらせた。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。
例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、
さんざんゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示を拒んだ。
「都城二十三連隊会」は日記の開示を求め、1986/8/22に小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをし、
全て開示し写真に取らせよという判決が12/27に下った。が、朝日は取材情報源の秘匿を理由に、
福岡地裁小倉支部に抗告し、裁判引き延ばし戦術に出た。
最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。
◆ 1984.10.31 毒ガス戦を捏造
煙がもうもうと立ち上る写真を一面三段抜きに掲載し、「これが毒ガス作戦。
と元将校。当時の日本軍内部写真を公表」と報道したが、ほどなく、
これが写真も取材源もデッチあげであることが、朝日の稲垣武氏や各種報道機関により暴かれた。』
http://ccce.web.fc2.com/d/as.html
==================
↑「毒ガス戦を捏造」って、こんなことまでやるんだね。
のたもた
2013/05/06 11:25:53
kanna 様
朝日もひどいですけど、毎日新聞、TBS,そしてNHK等も酷いもんです。
池上彰氏はNHKで子供向けニュースで自虐史観を振りまいていましたから。
その当時から、あの男の顔を見るとぞっとしました。
今も例によって巧みに巧妙にやって居ます。
何故急に彼が出てきたのでしょうか?
民主党政権になってから急に出てきたのでしたか?
何時の間にか出るようになって今や大手を降って巧妙な工作活動をやって居ます。
ぞっとしますよ。
フィリピンの事に関しては米軍をフィリピンが出したあとの中国のフィリピンへの侵略略奪を
言わなかった事は犯罪的な工作活動だと思いますけどね。
米軍を出せばどうなるかの見本見たいな物ですから。
赤旗に対して何かご存知なら、
ご自分で発信しなければなりません。
一人でも多くの人が自らの足で手で此の国を守る為に行動を起こしましょう。
出来る事から、出来る範囲で良いのです。
私にできて他の人達にできないわけがない。
私は目も悪く、歩くのもおぼつかなくなってきた婆ですよ。
kanna
2013/05/06 05:34:06
よくまぁ
やってくれてますよね
赤旗あたりも結構えぐいの(731部隊とか)やってるんで
ご興味がありましたらどうぞ