☆源頼光と四天王
京都の千本通の名前は、無数の卒搭婆が立ち並んでいたことに由来するそうです。この通の近くに「源頼光朝臣塚」別名蜘蛛塚があります。
平安の中期に、源頼光は原因不明の熱病で苦しんでしました。あらゆる治療が施されるものの全く効果が見られずにいたところ、枕元にあやしげな法師が現れたそうです。
そして、襲われそうになったので、頼光は刀で切りつけたところ法師の姿は消え、血痕のみが残っていました。
翌朝、頼光の四天王(渡辺綱、坂田金時、卜部末武(平季武)、碓井貞光)に命じて探索を始めさせました。点々とつづく血痕をたどると、北野の森の大きな塚まで続いていました。そこで、塚を掘ってみると、大きな蜘蛛が出てきたので、四天王は退治したところ頼光の熱病は治まったという伝説があります。
今ではこの塚には椋の木が根を張っていて、それを切ろうとすると崇りが有ると言われています。
【源頼光】
天暦二年(946)に源満仲の長男として生まれる。摂津源氏の祖であり、伊予、美濃などの国守を歴任。内蔵頭,左馬権頭,東宮権亮等をつとめた。また、藤原摂関家に接近し,その家司的存在となって勢力を伸長した。治安元年(1021)七四才で他界するが、数多くの伝説を残している。渡辺綱の大江山鬼(酒呑童子)退治と並んで、この土蜘蛛退治も頼光二代伝説の一つと言われている。