☆千利休切腹の謎
千家流茶道の開祖とされる千利休は天正19年に秀吉の命により切腹しています。この理由(原因)に関してははっきりとした説がないままで、戦国時代の大きな謎として語り継がれています。
利休は初め信長に仕えたのですが、信長の死後は秀吉に仕えています。秀吉は利休を天下一の茶人と褒め称えていました。ところが、秀吉は突然利休に堺への退去を命じ、その後すぐに京都に呼び出して切腹を命じたということくらいしか記録にはないそうです。
この理由(原因)には多くの説があるのですが、有名なところでは大徳寺山門である金毛閣の階上に勝手に利休像を設置したとする説、それと茶器の売買に関して私腹を肥やしたとする説などがあります。
また、秀吉の命に反論することもなく、素直に切腹したことも不思議な気がします。
この点に関して、どう思われますか?
青魚岩太郎
2013/07/25 23:32:03
台子茶を心の底から嫌うていたからに御座りませうか・・・