残滓がとおくで灯っている
恋愛ということばが気付くとひとごとになっている。
とおい世界というよりも、
さわっているのに、わたしはもはや触れていないという
奇妙な感覚。
恋愛感情に似たもの、残滓なのか、
かつての恋人をどこかであまくおもいだす
そんなことなら、つい最近まで、はじっこのほうで
ぼんやりともっていたと思う。
そうした感情がまったくなくなっているのは
どうしたことなのか。
ひとにあまりあいたくなくなっていることとも
関係しているだろうか。
ひととのかかわりがわずらわしくなってきている。
うちで、男と、たわいのない会話をする…
ほとんど会話ですらない、意味すらなさない、ことばだけで
十分だ。
だからといって、男にたいして恋愛感情をもっているとか
そういうはなしではない。
エネルギー量の問題だろうか。
恋愛につかうエネルギーがもうないのだ。
むかしは、どこかで恋愛は芸のこやしみたいなことを考えてきた。
書くうえで、想像力をかきたてたり、そういったこと。
いまは、書く想像力なら、ほかからもらってきている。
ほかがどんなとこか、よくわからないけれど。
あしたはひさしぶりに美術館にゆく。
このところ、バイトがつかれているからか
電車にのるのがおっくうだったからか
でかけていなかったが、
むしょうに絵がみたくなった。
速水御舟。
たとえばそれが恋だ。
蝉の声がまだする。