英国王のスピーチ
見ている間のメモは一言
「コーギーが可愛い」。
よく躾けられたコーギーが吠えたとき
ぐっときました。
クライマックスで
ベートーヴェン「皇帝」が流れたときは
ちょっと 反応に困った。
感動でうるっとしたいのに
なぜ この楽曲なのか? という疑問。
モーツァルトとブラームスも使われていて
敵対国の作曲家 だよね? と。
ブラックジョークなのか
音楽には敵も味方もないということなのか。
他の方の考察は深くて 感心したものの
美しいラストに美しい音楽が流れることに
単純に感動しておこう。というのが
最終的な回答。
「感動的だけど あれは開戦スピーチ」
という意見もあるらしいけど
テーマは イギリスの右傾化ではなくて
歴史秘話だと思いたい。
というか
「よくぞ乗り越えてくれました」という
単純な賞賛。
国王のノルマではなく
家庭人であり職業人である男性が
なりふりかまわず克服した
と いうことだと思ってる。
娘に「国王陛下」と呼ばれたシチュエーションと
戴冠式の場面がなかったのが その理由。
元は舞台用のシナリオだった とか
経費の問題 とかは あったかもしれないけど、
荘厳華麗な典礼儀式は 王室の見せ所だ!
・・・私が見たかっただけです。
気になったことを いくつか。
チャーチルの描き方。
カリスマをあげる描き方をしていたような気がする。
パーティでの 主人公との会話とかね。
自分の生い立ちを語るところは
いらなかった と思う。
お茶目で飾らない人柄を出したかったのか?
シンプソン夫人。
ものすごく下品で
皆の反発食らうのは当然 みたいな印象。
王位を捨てる価値はなさそう。
シンプソン夫人=スパイ は定説のようなので
映画には それは出てこないけど
そう思って見ると
主人公の妻が口にする噂(「上海で云々」)も
信憑性があるなと うかがわせる。
それと
キャスティング。
コリン・ファースは3番目の候補だったらしい。
でも
見ている間に感じたのが
彼には、イギリス人の考えるイギリス的な何かがあるのか
ということ。
それは、妻役ヘレナ・ボナム=カーターも同じ。
イギリス的な何か というのは
つかみどころのないもので いわく言い難い。
共産主義のエリート学生から国王
小枝のような令嬢から王妃
という出演作の流れが そう感じさせるのかも。
ファージングを読み返したいけど
(王位を捨てたエドワード8世とシンプソン夫人が
イギリス国民総スカンのシーンがあったはず)
読むと 気分が下がるんだよなあ・・・