☆呂宋助左衛門
この名前を聞くと思い出す方は多いと思いますが、「秀吉の時代に自由奔放に生き、豪快に富を得た商人」などと紹介されることが多いみたいです。
本名は納屋助左衛門で、呂宋(現在のフィリピン)から持ち帰った壷で大儲けをしたので呂宋助左衛門といわれるそうですが、生没年をはじめほとんどのことが不明という不思議な人物です。
調べてみると、文禄二年(1593)に堺から百余人の浪人を率いて呂宋へ渡り、武力で制圧したとされていますが、これはどう考えても不思議なことです。つまり、少数の武力で占領していたスペイン軍を相手にできるわけはないと思います。
その点については何かカラクリがあったのでしょうが、それよりもどこにでも転がっていた水瓶(元々は中国から持ち込まれた茶葉の容器)を見て、「呂宋の茶壷」と称して一儲けすることを思いついたところが凄いと思います。
さらに、助左衛門はこれらを立派な桐箱に入れ、堺の代官石田正澄を通じて秀吉に見せたそうです。またその際に、帰国の挨拶と称して輸入した香料や唐傘、蝋燭や麝香などを献上し、目玉の呂宋茶壷だけは商品として見せ、付加価値をつけたといいます。そして、この作戦は見事に当たり、呂宋茶壷はまたたく間に高値で売り切れ、巨万の富を手に入れることになりました。
しかし、その後の助左衛門は財産を寺へ寄進して、自らはカンボジアへ渡ったとされていますが、この点もはっきりしないようです。
みかさ
2013/09/12 19:33:47
あ、これ大河ドラマ「黄金の日々」の主人公ですね。当時地川染五朗を名乗ってた松本幸四郎がやってたやつ。