胸の底じりじり
お休みなので寝坊するまいと美容室に予約を入れたけど
結局ギリギリまで寝てしまったのでした。近所じゃなかったら遅れてた。
そもそもギリギリまで寝ればいつもの休日くらいの睡眠がとれる、
そんな時間帯に予約をしたこと自体が私の本音を物語っている。
帰ってきてからはメールの整理とついったのふぁぼ整理。
しかし全然終わらない。うむ……ちょっとしばらくサボりすぎた。
ていうかお気に入りに入れてある本の数が減らないよー
もっと効率よく(ってのが既に読書の意味を失ってるが)
本を読めるようになりたいよー。
ずいぶん前に妹が「寮に置ききれないから」と家に送ってきた
米澤穂信さんの「古典部」シリーズ。
2巻まで読んでからしばらく読んでなかったんだけど、
ふと思い立って「クドリャフカの順番」に手を出したら
やっぱり面白いなあこれ。私の物語が以下略。
古典部みんな好きだけど、特にふくちゃんがお気に入りです。
米澤穂信さんのことは前からちょっと気になってたんだけど
これを機に著作を巡ってみようかなあ。
彼の人の何がいいって、ついったでも面白いかたでおられるところ。
本人の人となりが分かるついったと、その作品の間に乖離がなく、
しかもどちらも面白いひとって、なかなかいないよ。
いやいるのかも知れないけど、すごくありがたい存在だよ。
他に同じ理由で好きなのはおがきちかさんとか。
あー……私意外と、作品を見る時に作者も見てるんだな。
どういう背景どういう人格からこの作品が生まれたのか、とか気になるし、
もっと言えば「この物語が成り立つに至る精神的法則ないし社会的要素とは」
「この物語を因数分解するとどんな最小の要素に分けられるのか」
みたいな。そういうメタなこと考えるの好き。
よい物語には必ず「物語の原型」がちりばめられてると信じてるので
そのアーキタイプを暴いて、それが作者のどういう素因と結びつくと
こんな物語が生まれるのか、ってのが、とても、知りたい。
たぶんある面では、憧憬と嫉妬から来る好奇心なんだろうけど。
(私だってこんな物語を生み出したい! のに!)
許されるなら「物語の原型研究家」とかになりたかったわー。
さて。ここまでだけで思いのほか長く書いてしまったが
こないだの風呂神さまからのちょっとした啓示についても
忘れないうちに早く書いておきたいんだよなー時間あるかなー。
えーと。
私はとても脆弱な精神を持っています。これは間違いないんだろうけど。
でも私は近ごろ、この言葉を、免罪符として、自己実現として、呪詛として、
口にしてはいないだろうか、という迷いがですね、生じまして。
えーと、まず免罪符について。まあこれはわかりやすい。
極端に言うと「すみませんちゃんとできなくてー私弱いんでー
私ちょっと人よりココロ弱いんでー出来なくても仕方ないですよねー
あーでもちょこっと参加したことによる利益は頂いていきますんでー」
みたいな? うん。弱くて、申し訳なく思ってるのは本当だけど、
申し訳なさそうな態度を取ることによって優しくしてもらえるという、
弱いというだけで許されるという、(まあそれも幻想なのかもだけど)
そのことに図々しくも酔っていませんか、と。
で、自己実現について。前々から書いてた気もするけど、
私は昔から、「普通」であることを恐れていたっていうアレな。
でもまあ日本人でもあるから打たれるほど出る杭にもなりたくなくて、
結局そつなくさりげなく、普通からほんのちょっとだけはみだしていたくて、
小学校の頃はそれが「ハーマイオニータイプの秀才」だったわけだけど、まあ
ちょっとだけ光る個性で他とは違うのよアピールをささやかにしていたかった。
で、自分が対して特別な人間でもないと思い知り、ショックから立ち直れなくて
落ちこぼれちゃった今では、「弱い」「落ちこぼれている」「落伍者である」という
そのことを個性に飾り立てて、得意になっている気がしていて。
弱いことが私の個性なのよ、仕方ないの、私は他とは違うの、と。
……ふう。だんだん気が滅入ってきた。最後。「呪詛」。
これは、弱いことが私のアイデンティティである、と言う物語を採択することで
私自身が自らを「弱さ」に釘付けにする呪詛をかけてしまっている、という
内田先生式の論理からの借用ですが、けっこう耳が痛い気がする。
でもさ、これって逆から見れば、自分にどんな呪いをかけるのも自由ってことよね。
私はもう子供じゃいられなくて、いろいろな業に縛られながらも外の風は感じてて、
要らないしがらみを一本断ち切る間に三本絡みついてくるみたいな状態でも
どうにかこれらのしがらみを、受け入れつつも自分の望む方向へ
選ぶ権利を有しているはずで。つまり自由なはずで。
どんな呪詛(いやここは予祝と呼ぶべきか)をかけるかによって
自分の入る檻(イデオロギーとかエクリチュール的な)を
決めるくらいはできてもいいはずで。
だからえーと、宣言? 私は自分を「弱い」と言い訳するのをやめたい。
私はどうしようもない人間だが(ああこれも呪詛だな)、
人間たる以上、可塑性はまだ持っているはず。
自分の入る檻くらいは自分で決めたい。一番自分が心地いい檻を選んで、
檻と一緒にどこまでも転がっていける人間になりたい。
弱さを言い訳にする弱さを克服したい。
どんなしがらみを選ぶのか、どんな檻を選ぶのか、
弱さなんかでなく、それを個性と呼べるようになりたい。のです。
……てなことをもっと上手に文章にまとめたかったんだけど
頭にあるものを忘れる前に、と一気に書き出したら
なんか自分にしか分からんようなめんどくさい文章になってしまった。
うわー気づいたら2000文字超えてるよ。読み返すのも大変だ。