愛するということ
愛にはいろんなかたちがあるね。
所詮は自己満足だという人もいて、
「相手のために見返りを求めず労することだ」と言えば
「それは尽くした自分への陶酔のためだ」と言い。
「いつでもその人と共に喜怒哀楽をかんじたい」と言えば
「只の独占欲。所有欲だ」という。
その意見は何かしっくりこないが、残念だが私はそれを否定するだけの意見が未だ見つからない。
意見が違っても尊重したり、疎まれても尽くしたり、その時のその人のベストを考えて行動するのは、愛するがゆえであって、自己満足だけではないと思う。何故なら誰でもいいわけではないからだ。
いや、自分の感情や自分の行動に動機が欲しいからかもしれない。
だんだん自分の事もわからなくなってきた。
だだ唯一わかっているのは、君を離したくないという私の感情に偽りはないということだけだ。
なんだか女々しいね。
消そうかな...
Joe
2013/10/28 19:44:44
>ⅸlacouさん
とてもためになりました。
多くの宗教においても愛が説かれているのは人が必ず求めるものだからなんですね。
その分類は様々だけれど、そもそも分類は人が解釈するためのフレームにすぎないから多くの概念を知ることはとても意義があるとおもいました。
私の愛も低俗な部分とそうでない部分を明らかにして、本当に純粋な愛をもって他人と関わっていきたいです。
ⅸlacou'
2013/10/28 17:51:55
ブログ広場から こんにちは
キリスト教では ストルゲー : 家族愛
エロス : 性愛 自己を充実させる愛
フィーりァ : 隣人 友人愛
アガペー : 自己犠牲の愛 真の愛
フィロソフィァ : 知への愛 (愛知)
仏教では 最も根源的な 人間の欲望であり 喉が渇いた時に水を欲するのと同じ
苦痛を受けるモノに対しては憎しみ避けようとする強い欲求
楽を与えてくれるモノには 求めようと熱望する欲求
離れがたく思う男女の性愛 性的本能
子供に対する親の愛情が純粋であるように
他人に対して愛情のこもった言葉をかけて人の心を豊かにし 励ます
愛の心を持って 全ての人を助けるように働きかける
愛を求めるのは 生きていく上で 水や食物と同じくらい必要なもので
水や食物に 「質」 があるように どんな質の愛を求めているかに
個人差がありそうですね
純度が高いか 低俗か かもしれませんね。