調子に乗って
「死者の代弁者」を再読中。
エンダーも中年になり、翻訳調も然程気にならない。
未来の宇宙植民に、宗教がそこまで必要なのかどうか
ワタシには釈然としないけれど
そう云う縛りの中で喘ぐ人々には迫るものがある。
救済を描くためには、やっぱり神が必要なのか知らん。。
初読の時にも、ヒト側が
ピギーの行為に敵対的な解釈しか出来ない処が
ちょと浅いかなーと思っていた。
人間だって、神に捧げる為に殺すことはしていたし
幼少のエンダーに対して行っていたことと、
それによって生じた犠牲だって、ある意味
通底すると思うのだけれど。
こう云う読み方もあるようで^^;
→http://user.keio.ac.jp/~ua805580/publications/sample-ender.html
エンダーを「ジェノサイダ」とみる典型かも。
「独裁者」は簡単にボンソーへ置換できるのだが。。。
仮に彼がエンダーを打ち倒したとして、後に
「ゴミを蹴散らしてやった」とでも回顧録を残したら
正義の記録になるのかな?
corra
2013/12/31 03:12:19
>カトリーヌさま 「エンダー」の世界で、彼を糾弾したのは
こんな論調だったのかと思ったのでした。
仮にエンダーが途中で失われていたら、人類は
負け続けるだけで、恐らく絶滅はしなかったんでしょうけれど^^;
ゆっくりとバガーのことを理解していったのかも知れません。
カトリーヌ
2013/12/30 22:47:24
正義は、
それを正義と信ずる者があってこそ、正義となるわけだから・・。
そういう人がいれば、正義の記録に。
いなくなれば、悪の記録に(苦)。