ぐも

ぐも

ぐもんち

ことばのおもちゃ

日記

もやっとした事を書きます。もやっとタウンテヘw



こどものおもちゃって漫画あったねー。さておき


言葉の使い方、それは礼儀を表すだけではなくて
処世術としての効率の良さだけじゃなくて
実はとても高度なのに、ある基本が出来てしまえば、誰でも出来る事になってて
でも、なくて七癖…じゃないですが
言葉の使い方も癖や偏り、習慣、方言…言語の違いもあるし
個人個人の、言葉の解釈、その単語のイメージの良し悪し
全部違って当然なわけです。

話し合えば分かる…かというと
話し合おうとする姿勢から分かっているとか
話し合いの為なのだから、自分の好きな表現、自分が思いついただけの言葉
自分がかっこよく見えそうに喋ること、大きい声で言って相手の言葉をかき消してでも
言いたい事を全部言ってしまうことを
少し、横に置いて

冷静に、相手の気持ち、自分の気持ちに正直で的確に
ただの音声でも騒音でもない声で
言葉と心と考えと事実を聞こえやすく
伝えるべき事と伝えなくていい事を選り分けて、伝わるように伝える


それを、大の大人がやってみても、実は出来ているケースが少ないのだよなぁと
思うのです。

聞き手の思い込みや感情、集中力が影響することもあるけど
言う側の言い方もそうだし、言わなきゃ!と思って言ってる事が既に
思い込みや勘違いがスタートだったりもして

そういうごちゃごちゃがこの世の中を作っているから
しがらみがない人はいないと思うし
コンプレックスがない人もいないと思う、思うだけでなくおそらく真理ってやつなのだろう
とも思うわけでありんすよ。

今ある出来事を話す
というのは、自分が思っただけでべらべら喋ってみれば
確かに可能なんだろうと思うけど
分かるように言う事も難しいし
そもそも分かってもらうとはなんだろうか
分かってもらったところでどうして欲しいのだろうか
欲しているとは、いいのか悪いのか
話す段階で、実はそれ程正しい考え方とか、社交性とか、協調性とかってのが
あまり関係なくなっていたりする


でも、言葉は、ぽろりとこぼれる様なこともある
溢れ出すこともある

心が器で、感情がその中の水だとしたら
汚れたり溢れ出したりしていて
それだけだと、心を中に入れているさらなる器の自分の姿も
誰かを支え、誰かに支えられている関係性も
壊れてしまうんだろうから

被害を大きくしない為にこそ、言葉で心の回りも心の中身も綺麗にしたり
時には質を変える必要があるんじゃないかと考えていて

言葉は、誰かの言葉を自分の中に入れる事もできて
自分の中でとっちらかった何かを外に運び出してくれる運搬係みたいな
心や感情と別物なのに、機能を持っていたりするのかなと思うと

汚い言葉といわれるものもあるけど
その言葉じゃないと自分の中のものが出て行かないとしたら
汚い言葉だって、秀逸な機能を持っていると思う


でも、言葉の機能を活かすような
プロフェッショナルってなんだろうと思うと

辞書を作ることに携わった人だとすれば、歴史に詳しいかもしれないけど
辞書の表現は、共通言語を共有する者同士に平等になるようにしていて
「意味」という言葉の意味さえ、機能上げることよりも規格を合わせることを
目的にしているから、言葉の研究者だけれど、ちょっと違う気がする

司会や芸人、俳優声優をやる人の事も思い浮かべたけど
これは、言葉より音、伝えるより響き渡ってそこに景色としてある音声
それを美しくしたり面白くしたりであって
むしろ、心のプロフェッショナルか、言葉の芸術家かという感じなので
少し違って感じる

シナリオを書いたり、小説を書いたりしている人も
ストーリーは当然重要として、文字もそれなりに意識して
その行間にさえ、言葉と同じような、心を表に運び出す機能があると思うけど
人と人との関係や、出来事、社会を構築している建築物を
事細かに解析する記号のようで、内臓を見ているCTスキャンのような
巨大な建物を作るのに、ミリ単位で数字を書かれている設計図のような
途方もない情報量のように感じられて
専門家ではあると思うけど、それ以外の人を寄せ付けない立派な門扉があるような

CMのキャッチコピーも考えたけれど
端的なだけでインパクト重視、その言葉から伝えたいものがある場合もあるけど
伝わらなくていい、印象だけ残ればいいというものもあって
言葉がスーパーモデルのように、他の人と一切共有できないセンスや
派手なメイクとコレクション専用の服で出来上がってるようで
音の響き、美意識、力強さは確かにあるんだけど
心があるわけでも、真実があるわけでもなくて
虚飾という程ではないんだけど、何か違うなぁ
その言葉が流行る事があっても、伝えなければならない何かではないような

マンガあたりに、その答えに近いものがあるような気がする
絵のプロかというと、マンガの中に絵が下手でも通用するものがあったり
心情の動きを絵で表しているというのも当然あるけれど
無言という言葉があるコマをわざわざ用意していると考えると
言うと言わない
それもまた、言葉の機能のスイッチのオンオフであって
使い方というものなのかなと思う

でもまぁ、やっぱりマンガは絵もそれなりに形あって欲しい気がするけれど。


言葉は、心や感情を伝えようとしていたり
それ程でもなかったりします

なので、その空間の宙にぷかぷか浮くような
大勢の場を笑わせるだけで、記憶には残らない言葉もあるけど
それが薄っぺらいかというと、その思慮たるや、とても深いことも。

当然、心にまでぐさりと届くものもあれば
感情を動かさずとも記憶に残り、なぜだか遠い未来でその言葉が
その人の中で生かされていることもあって

そういったことがあればいいなぁと
心底じゃなくても、漠然と思ってるものなのかなと思うから

昨今、LINEやらネット環境やらでのトラブルを報道するのを見ていると
多分、それはツールの問題じゃなくて
言葉も心も、思うようにいかないのが普通。くらいの心持ちでいないから
傷つきやすいという、人の弱さを定着させてしまってるからなので
言葉のせいで傷ついたのではなく、心の運動不足のような
そういうのじゃないかなーと思ったんですよ

無視されたくない
だけど、厳しいこともいわれたくない

そんなの通用するわけがないと思ったり
といって、人を恐れて何も言えないでいる必要がないくらい
思うようにいかないことを、当然にしてしまうこともなくて

貧相で栄養不足の瀕死状態か
甲冑の上に鎧、バズーカとライフルがあるのに
手榴弾と閃光弾も持つような完全武装か
しかないような考えもどうかと思う


が、そんな状態の人も、確かにいるにはいるような気がする。


自分も
どうしても、人の言葉から自分の経験を連想していたり
違いが分かっていながら、違う中の同じ、似ている中の誤差を
ぼんやり探してる気がして

相手の言葉を、自分に分かりやすく修正してしまってるような事もある

悪い事なのではなくて
相手の心や感情があるそれを、本当に分かるまで聞いているんだろうか
時には
分かった上で、その心砕いてしまう必要も生まれるだろう
沢山の苦悩から、歪みがあるなら、壊して直すのも手段
でも、自分が嫌われたりしたくない、心の評価を下げたくないと思えば
何もしないのも手段

心を理解するには、ある程度近づくだろう

でも、その時言葉を聞いているだろうかなぁと思うと
うぅーん、と、うなる部分もありまして

考え事中というわけでござるよニンニン。

あ、反省会とか重い話とかじゃないので、ご安心くださいw

  • ぐも

    ぐも

    2014/01/25 18:43:31

    >りゅうさん

    そうそう、言霊と考えると、言霊は人でいえば魂で
    人の肉体が言葉そのものって事になるから

    それがなんたらかんたらって思ったんです(大事なところを端折る習慣)

    美味しいものを食べて美味しいと言う、その幸せって素晴らしいよねー(多分話題が変わった)

  • りゅう

    りゅう

    2014/01/18 21:31:44

    哲学でござるなぁ(´・ω・`)

    言霊っ

  • ぐも

    ぐも

    2014/01/11 20:50:09

    >Bass.keさん

    いやいや、もやっとも、情熱も、湧いてくるもの大歓迎
    痛かったり痒かったり、眠くても眠れなかったり、お腹痛くて美味しいもの食べられなかったりしなければ
    全部おーらい!なおいらでござるwww

    …大丈夫な子かな…?←

    伝える、伝わる、は、きっと伝えたい人にだけあるんだと思うので
    伝わらない人の中には、伝わらない運命をどどーんと背負っている場合もあるので

    テヘ☆

    って言えば解決!(するの?)


    対話は常に、悪意などなく、悪運でこじれるくらいはなんてこたーない

    ここにある一言一言、もっというと、一文字とか、とりあえず書いてみる!みたいなことも
    ぽちっとなと押すボタンも
    実はすごい機能なんじゃないかと、人体の神秘くらい奥深く感じてみたりもするでがすよ

    それを考えさせてもらえる、気づかせてもらえるのは
    ありがたーいご縁がいっぱいある証拠!ウッヒョッヒョ!

    あとは美味しいものさえあれば完璧!(実は今お腹が空いてるという…)

  • Bass.ke♬

    Bass.ke♬

    2014/01/11 20:37:15

    嬉しいなぁ、2つにまたがるレス。(^^;
    何があったかはともかく、心情を吐露してくれるブログに心を揺さぶられます。

    自分なりにいろんな言葉を使っても、こちらの意図が伝わらない相手。
    ほとほとイヤになって投げ出したくなりますが、そうもいかないから別の手段を考える。
    そんなことを毎日繰り返すオラです。

    言葉が未熟かどうかはあまり関係なく、やはり情熱が大切なんでしょうね。
    それだけは失わないよう頑張っていきたいと思います。

    何もチカラにはなれないけれど、
    ぐもさんの「もやっと」が晴れますようにお祈りしています。(-人-)

  • ぐも

    ぐも

    2014/01/11 19:49:12


    ☆続き☆w

    伝わるのはポイントで言えば心から心に
    その間の言葉を知り、言葉を大切に扱い、言葉が上手くなる事とは
    赤ん坊のような未熟な内からも、大切にしている動作はおそらくそれなりにあるんじゃないかと
    でもそれは、言葉の未熟を補える、生きる術みたいな何かで

    言葉は心を超えなくても、そもそも別物だからそれでいい
    別々にあるものを、無理に一つにまとめたりしなくていいんじゃないかな
    でも言葉は言葉を超えたりより磨けるんじゃないかとか

    …そんなんだっけ?(ぇ


    相手の心や立場や経験を想像出来るくらいの
    それなりの頭がほしい気持ちは今もあって
    成長できるならし続けなければならんなーと思いながら

    言葉だけを区切って、よりよくすることを不可能にしてしまって
    そう思ってしまって、自分の限界を作ってるような感じは
    なんとなーく

    もやもやしたのでありますw

  • ぐも

    ぐも

    2014/01/11 19:43:50

    >Bass.keさん

    あらやだ!一つの枠で全部レスろうとしたら、全然文字数足りないって噂!(噂じゃない)

    波長、そう、言葉を伝える媒体というか
    心が言葉から頑張って乗っけていくものがあって、それを出す
    言葉が出て行って、相手の耳に入って通過するだけじゃなくて
    入っていって
    言葉なら耳、文字なら目なんだけど、口で租借をするように入れていく行為を
    自らしようと思えるパワーみたいなのが、聞き手に必要で
    波長は、それでいうと消化酵素?

    聞くぞと思っている相手の様相を、いわれずとも感じ取るから
    話そうとするっていう、そこに言葉のない心のコミュニケーションが一旦ある可能性を仮説してて
    そう考えると、赤ん坊が拙くとも、心のコミュニケーションをしているのかなと
    この人にぎゃん泣きする事で、伝わる可能性にかけて、信じて発するエネルギーと
    そうしないと生きられない必死さとかいろいろ

    その、やる気と関係性と空気もあって、言葉はそこを走れるのかなと思うと
    言葉を区切って、心でもない、やる気でもない、言う人の違いではない言葉だけのパワーを
    ちょっと鑑みてみたくなったとですよ

    べーにゃんの言うところの伝わることと波長は、心のエネルギーも人の存在そのものもあって
    言葉の存在よりも、言葉を生かせる神秘というか、言葉が言葉たるものであるには
    欠かせない存在というか

    それは、日々違ったり、聞き手の心の周りに間違った情報があったり
    少し抑えたい感情をあおってる第三者の心無い言葉があったりする場合もあるから
    1対1で話せる場合、心とか姿勢とかエネルギーを空間に生み出せる波長のようなものが
    潤滑油になるのは確か。絶対必要だと思うし
    いろんな方向に波長を合わせられるようなアンテナがあったら
    身につけたいものだと常々思うのですばい

    伝えよう。というのは
    そこがスタートだから、スタートしないといかに伝えるとか伝わるとか言い出しても
    全てを無にするから
    スタートラインはそれで正しいと思うけど
    ゴールラインも、見誤っちゃいけないのかなというのもあって
    ゴール手前で終われないわけですよ。

    しかし、ゴール手前で不正したりコースアウトしたりもいかんくて

    そこに、ツールである言葉ってものの機能性とはと考えて

    ほーらややこしくなったぞ?(意図的か?)
    レスなのに続いちゃうんだぜ☆w

  • ぐも

    ぐも

    2014/01/11 19:14:16

    >さとしっくさん

    ああ、そうそう、操る。傀儡のように、たった一つの単語なのに
    上手い人は操るように動かせている事もあると思うのですよ、そうそう。
    だから、伝えるのが上手い人と、操ってしまえる人とは、相手の心の掴み方が違うというか
    ともすると、相手の心も操ってるようで、会話が一人相撲っぽい人もいたりして
    説得力とかカリスマかもしれないけど、相手を相手にするってのはまた違うから大変なわけですよ
    そうそうそうなの
    操り癖が出てしまったら、ずっと操り続ける言葉になっちゃうような、なんかそれ。それってなんだwww

    失礼にならずに、だけど相手が望む出来上がった既製品みたいな言葉じゃなくて
    事実を伝えるにふさわしい言葉というと、それは単語の意味や性質だけじゃなくて
    瞬間瞬間に必要になる文法も単語も変わるんだろうなーとモンヤリ思うですよ
    それが美しいか美しくないか、イケメンかキモメンかが問題ではない!…あれ?なんか違うものが
    まざってきた感。大暴走!


    >白菜茶漬さん

    あひゃw
    読みにくいことこの上ないのですがー句読点とかちょいちょい省いたしw

    でもやっぱり、垂れ流しで書いてるなりに思うのは
    これで分かってくれる人は、きっと何か経験があって
    心が感動でしっかりと動く人が、読み取ろうとしてくれるからなのだろうなーと
    思うんでありまするよ

    それによって、自分が出した言葉が、言葉以上になってたり
    読み手の脳内や心に残るものの方がなんかえらい優れていたりして
    また言葉になってその感動のシルエットみたいなのが伝わると
    おおー!と感動するおいらがいるというねw

    で、それが、言葉なのか、心なのか、存在感なのか…みたいなのを考え始めて
    もやもやしているのでふw

  • Bass.ke♬

    Bass.ke♬

    2014/01/11 18:50:46

    久々に、ぐもさんらしいブログですな。眼福眼福!

    言葉に携わる職業を四半世紀も続けている身として、考えさせられます。
    他人の文章はともかく、自分が記したモノがいかに稚拙か……。穴があったら入りたい。

    一つ思うのは、発信する側と受信する側の「波長」ってのがミソ。
    赤ん坊が発する拙い言葉でも母親は理解するけれど、
    弁護士が完璧な言葉を発しても理解できない人は多数いる。

    また、同じ言葉でも、発信者の声であったり抑揚であったり、
    受け取る側の心境一つで響いたり響かなかったりもする。

    小説じゃ感動しなかったけれど、漫画化や映画化されたらハマったりすることもある。
    相手が何も言わなくても、こちらが感じ取ってしまうこともある。

    言葉は、やはり「意思伝達のツール」の一つでしかなくて、
    達人がいくら駆使しても万能の手段にはならないと思います。

    大切なのは、伝えようとする気持ちであって、
    それさえ持ち続けていれば、いろんな方法で相手にアプローチできることでしょう。

    うーむ、やっぱり上手く書けないなぁ。自己嫌悪……_ノ乙(、ン、)_

  • 白菜茶漬

    白菜茶漬

    2014/01/11 15:54:01

    なんだか作家さんのコラムを読んでる気分になりました^^
    例えがわかりやすい~
    「心が器で感情が水」とか。
    キャッチコピーがスーパーモデルとか。
    すごいっす~

  • さとしっく

    さとしっく

    2014/01/11 15:52:16

    言葉を操ることと、言葉で伝えたいことを表現しようとすることは、似ているようで、実際は、ウォーキングとフルマラソンくらいの難易度がありますよね(←すでに、書き出しの時点で表現が下手すぎる…)

    言葉そのものは、日本のたいていの人ならば、小学校にあがって国語を勉強したあたりで、読み書きくらいはできるようになりますが。
    その言葉を使って、伝えたいことを文字にしたり声に出したりすると、とたんに、どう表現したら上手に、相手にもわかりやすく、できるだけ正確に、己の主観だけでなく相手の主観も見据えたうえで、誰の言葉も借りパクしないで己の言葉で綴れるか、と。
    日々、悩みながらも、あいかわらず上手く表現できない、あてくしです。

    特に対面での会話では、表面上の言葉だけでなく、声のゆらぎ、間の取り方、視線のゆくえ、等々、あらゆる面からのアプローチを試みないと、まず相手がなにを望んでいるのか(正しい説明が欲しいのか、そんなものはいらず謝罪が欲しいのか、など)を読み取ることが難しく。
    また、こちらがいくら誠意を示そうとしても、相手の心に正しく、ピンポイントでヒットしなければ、どんな美辞麗句を並べても上っ面だけのものになってしまうですよね。
    下手したら、慇懃無礼なだけになりますし…。

    時には、どうしても吐き出さないと駄目な心持ちの際は、ひどい言葉を使ってしまうこともありますけど。
    それを繰り返すと、口癖になってしまい、行動の癖になってしまい、心の癖になってしまい、と、いざという時に、貧相で卑屈な、他者を傷つけてばかりの、肝心なことは伝えられない、そんな者になり果ててしまいそうで。
    ときおり、己の言動を見返してみるのですけれども…これまた難しいですよねぇ。
    自分のなかのOSに、どんなレジストリが蓄積されているかは、実は自分自身が一番、よくわからないといいますか。
    己の体臭に、己だけが気がついてない、みたいな…(←だから、その表現もどうなのよ)

    なんにしても、美しい言葉ばかりが心に響くわけでもなく、また正直すぎて荒っぽい言葉であれば他者にストレートに伝わるかといえば、さにあらず、で。
    言葉は補助的なものであり、道具であり、それを使う心の持ちようが最初にありきなのかなぁ、とか。
    つらつら書きつつ、やっぱりなにか上手に表現できず、論点もズレてる感もあったりで、実に難しいであります、隊長!